早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

日本のダイビング誌は消滅「失われた30年」まだ20年前は強く元気だった・パラオの思い出。

少し前、月刊マリンダイビングの 水中造形センターが、

出版不況と 新型コロナによるイベント中止や延期で、

倒産していたんですね~ショックです。

 

同社はバブル崩壊後も 2004年頃まで業績拡大、

リーマンショックから 業績は悪化していったそうですが、

新型コロナは 想定外の出来事でしたよね。

これで 日本のダイビング誌は 全て消滅したようです。

1969年の創刊から35周年が ダイビングが賑わった2004年、

その時のステッカーが ウチにたくさんありました。

私も撮った写真や 自分達も載せてもらった月刊誌

そしてパラオに良く行きましたね~日本人でとても賑わって。

(月刊マリンダイビング フォトコンに載せてもらいました)

 

先日、羽田空港に 海外のLCCで行く パラオツアー

パンフレットがあって 見たら とても高額になってまして、

1ドル151円 円安ヤバい~また昭和に戻ってしまうぞ。

(パラオのニシキテグリ フォトコンに載せてもらいました)

 

私は20歳から潜水~人生忙しい時期は潜ってないけど、

若い頃のスキルから 第2次潜水マイブームは 2004年、

 

バブル崩壊後とはいえ 強い日本円、円高が追い風、

パラオツアー安さに乗り、時には「一人旅パラオ」も。

普通のサラリーマンと違って 時間も作りやすかったのも幸い、

(一人旅でもスグ仲良し~ダイビングの魅力)

 

あの頃は 旧JALの767で チャーター便パラオがあったり、

日本人ダイバーで たいてい満席でしたから、

当時パラオは 日本人ダイバー 100%

ダイバーが行くには何かと最高な地だった。

 

パラオで出会った人は ごく普通の人でしたよ。

OL、学校の先生、医療職員、弁護士もいたが、

女子アナ、公営バス運転手、建築士、 自営業・・・

 

普段 接点がない人達と 海に潜って ビール飲んで、

話が盛り上がり~貴重な経験 楽しかったね。

あまり景気に関係ない人が集まっていたのかも。

 

最近のダイバー人口は解らないけど あの頃がピークか。

近年、パラオの観光客は 半数以上がダイバーじゃない、

経済的に豊かな 中国人というから 変わっただろうな。

 

確かに最近の後輩は 院卒で 結婚子育て風習が復活、

若くからローンを組み家を買って 投資も盛んなのだが、

昔のように 海や山で遊ばなくなったよな~

そこまで しっかりすれば 遊びに行く余裕も無い訳だ。

 

はぁ・・失われた30年とはいえ、

20年前の日本はまだ強く、みんな良く働き遊んだよ。

初めての海外~40年前の水準に逆戻りだ。

60歳を過ぎて身体の変化「我慢出来ない喉の渇き」

もう1か月クルマを動かしてないから、

海に行ってみたら風が変わりオフショア

陸風となり夏が終わっていました。

ここらに住んでいた親は 要介護5でしたから、

ケアマネさん介護の方には 本当にお世話になり、

気が滅入るし いたたまれぬ私は、

50歳くらいまで ここで波乗りしてました。

まぁ、30分程度 荒々しい波を何度もかぶり、

沖に出て大きな波で 戻ってくるという 束の間。

普通のサラリーマンじゃ そうもいかないでしょうが、

意外と自分の時間があったのは幸いでした。

都心から1時間の千葉県九十九里浜、

親が死んでから 滅多に来ることが無くなった。

 

私、在職中は検診結果が全部「A」だったので、

産業医に「還暦で?珍事!健康を自慢せよ!」言われ、

職場で筋トレ健康ブームを起こしました。

 

実際 来年は62歳ですが、未だ体力の衰えは感じず、

しいて言えば 右目が霞むようになったけど、

裸眼で1.5あるし 近くも老眼鏡いらずってのは、

 

短時間ながら サーフィンをしていたのが、

身体に良かったし、気がパッ!と晴れましたから。

 

60歳代になってから 身体の大きな変化

「我慢できぬ喉の渇きに襲われる」

夜中に何度も起きるのは トイレというより、

水を飲むためですね~なんなんでしょうね?

 

子の頃は「水飲むな!疲れるぞ!」先生が言ってた。

高校の駅伝も、遠足登山も、水を飲んだ記憶がなく、

 

喉の異常な乾きは 糖尿病?甲状腺に異常?

でも食後血糖値は上がる事はあれど正常範囲。

 

年寄り、身体の保水力が なくなったのだろうか。

汗をかき過ぎ?ビール飲み過ぎ?それある・笑

 

真夏の炎天下で 海上に滞在する サーフィンとか、

ペットボトルの水は持っていったけど、

飲むためでなく足の砂を落とすための水

私のサーファー寿命があったとすれば 60歳だな。

 

夏は南風で 沖から白い波が押し寄せますが、

秋からは波がキレイなのです。つまり夏が終わった。

離岸流(水脈)の看板は、形を変えて昔からある伝説。

マスコミで水難事故を恐ろしさを伝えてるだろうが、

私的経験では ココの海では沖への流れは顕著で

周りより深くなっていたり 波が立たなかったり、

でもある程度行けば 大波におされ岸へ戻されるか、

隣の海水浴場まで流されて 歩いて戻る事もありました。

 

話は戻り、散歩にもペットボトルのお茶を持参せねば、

耐えきれぬ喉の渇きに襲われるのが 体調の変化です。

そして!車を掃除したら、1か月前の食品が出て来た!

成田温泉に泊まりに行った時に買ったのだ!

メカブというより、海苔の佃煮風になってた・笑

食品ロスしてしまい申し訳ございません。

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私とパラオの海・ガイドはオチャラケだけどプロ意識。

こう暑いと海に入りたい~南の島を思い出す。

 

最初にパラオに行ったのは、約40年前の1980年代、

ヤップ島は裸族の風習が残り、まだ大自然だった。

 

思えば、もっとも多く遊びに行った旅行地は、

北海道ルスツ&ニセコの雪山と、南の島パラオの海。

体験型の旅は 気に入れば何度と行く傾向はあろう。

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既に年月が過ぎて、旅の参考にはなるまいが、

今や中国人観光客が半数をしめるらしいパラオ。

まぁ、それは良いのですがね。

 

久々に訪れた2000年代のパラオは、

日本人ダイバー100%の楽園になっていまして、

ぶ厚いウエットスーツで、スパルタ海猿訓練は過去の話、

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水温28℃~温暖な南の島はストレスがなく、

すっかりリゾートダイバーとして生まれ変わり、

私的、第2次ダイビング ブームの再開です。

 

パラオの海で潜るって、自由でダイナミック、

雪山スキーで言えば 北海道のニセコって感じだな。

 

ダイビング込のツアー代も、40年前の半値程度で

沖縄に潜りに行くより 安かった記憶があります。

名ポイント、ブルーコーナーでバラクーダに囲まれ。

流れが速く、ドロップオフという 海底の壁の中層を潜る、

あきらかに 上級ダイバー向けの海と思うのだけど、

経験10本程度の初心者も、安全に連れて行ける、

技術力が高い潜水ガイドがいて、

 

偉そうな事は一切なく、オチャラケて場を和やかにし、

隠れたプロ意識を持っていて 皆を導く姿っての、

もしサラリーマンの上司でいたら 最上級の管理者でしょ。

私「社会人後半戦、これでいこう!」と学びました。

のんびり、のどか、いつも夏休み!って南の島の風景

日本人ダイバー100%時代のパラオ、

普段では接点がない、いろんな仕事の人が集まり仲良くなった。

都会の職場じゃ、同じ価値観の人ばかりだからね。

オニイトマキエイ・マンタ

ダイバーの夢が全て詰まったパラオに皆で惚れた。

ミルキーウェイで天然泥パック

海底の白い砂(泥)身体に塗れば 保湿性が抜群なのだ。

この頃は、一人旅、家族と、兄弟とその友と、

様々なメンバーでパラオへ、

1人でも、誰と行っても楽しい南の島だった。

最後は2006年だったかな。

現地のメンバーも変わり、行かなくなっていった。

私も どっぷり深入りし過ぎたってのもあって、

悪いモノも見えてきたんだよな。

あ~パラオのダイビングポイントって、

町からモーターボートで1時間以上と遠い事もあり、

いくら観光客が増えても、豪快な海は今も健在と思う。

1980年代パラオ・コンチネンタル ミクロネシア航空

若返って人生最初から 苦労するのは嫌だが、

潜水旅行がまた出来るなら それはアリだな。

 

真鶴で潜っていた頃、ダイビング雑誌は毎月買っていた。

載ってたのは 正月のパラオ40万円、パンナムでマニラ経由。

行きたいとも思わず スルーしたのは月給10万円だ。

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危険な暗闇バイトもやったけど、

「若いうちは なんでも出来る!」

無理をしても、やった方が良い事は多々ある。

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もう潜るのは辞めるか!一通りの事は体験したし。

そんな時に彼女がパラオ行きの話を切り出した。

クラブアイランダーという、小さい旅行会社が

パラオ5日間ダイビング付き 16万円というツアーを企画。

 

懐かしい道中を、YouTubeにUPしたの忘れてた。

コンチネンタルミクロネシア航空で、

成田からサイパン、グアムでトランジット(乗換)

グアムからヤップ、コロール パラオへ1日掛かり。

Boeing727という飛行機、尾翼に3つのエンジンがカッコイイ。

最後尾から階段が出てきて 乗り降りする。

空港設備が乏しい1980年代の南の島、

滑走路さえあれば 離着陸OK!楽し過ぎる飛行機の旅だ。

ミクロネシアの島々を飛んでいた「Boeing727」

砂ぼこりを上げて 離陸していく姿・笑

こちらは機関士の席、3名体制で飛んでいた時代

映画トップガン マーベリックで、旧型機に乗ったグースの息子、

「なんだ~このスイッチの多さは!」解るね・笑

アナログなコックピット。

座って帽子を被らせられたのは、ダイビング仲間(現 奥さん)

隙があるというか、皆に話を掛けられやすく、特に外国人。

今も北海道のニセコにスキーに行っても、

オージー達と仲良くチヤホヤされ、得な性格である。

途中降機のヤップ島は プレハブ小屋がひとつの空港、

住民は裸族であり、女性はトップレスであった。

パラオから帰路、ヤップ経由グアムまで、

この頃は日中のフライトで、ヤップのラグーンの美しさ。


www.youtube.com

観光施設なんて まるで無いパラオが良かったのだ。

あるのは自然!海!島!それだけ。

私はグアムを中心、左側の島しか行ってないが、

右手に飛べばチューク(トラック)ジープ島、

ポンペイ、コスラエ、マジュロ、ホノルルまで、潜水パラダイス。

今はユナイテッド航空となりアイランドホッピング便がある。

なかなか、もう時間切れだ。

ダイバーの夢パラオ「スプラッシュ」育ちはスパルタの海

断捨離、衣類の処分も始めたが、

タンスの奥から 変色したシャツが出てくる・笑

 

パラオのスプラッシュかぁ

40年間大切にし過ぎたお蔵入りTシャツ。

未だ存在する南の島のダイビングサービス。

 

描かれるのはマンタ(オニイトマキエイ)ダイバーの夢。

私と潜水、超体育会系の先輩に半強制的に連れられ、

東海大学でやっていた伊豆の潜水訓練所へ

全寮制で7日間入校した。

時は千代田区のホテルニュージャパンで火災が発生、

多くの死傷者が出た事に心を痛めた先輩が、

「俺が東京消防庁のレスキューになって命を救うんだ!」

 

猿のように身が軽く、運動神経抜群な先輩、

誰もが納得、スパルタ潜水訓練も臨むところ!

こういった ド根性系の訓練が大好きなのだ。

そんな強靭な先輩に、私は付いて行きたくなかった・笑

「スパルタの海」戸塚ヨットスクールなんてのもあって、

私は嫌な予感しかしなかった。案の定・・・

 

タンクを背負って、マスク無し、片フィンなど想定、

毎日スノーケルで 5km以上は泳いだであろうか。

 

「海につかまるヘリは無い!」「疲れたら浮いて休め!」

 

日課の締めは、6kgのネックレス状の重りを首に巻かれ、

10分間の立ち泳ぎ。今じゃ問題になる拷問でしょ!笑

映画であった海猿と同じだ。

 

一方、東京の街中にもダイビングショップはあり、

同年代のビキニ姿の姉さんたちと、愉快に講習を受ける友達も。

 

そりゃ後者が楽しいに決まってるじゃん!恨む・笑

 

まぁ私、泳ぎは遅いし下手くそだけど、

長時間浮いていられるし、

長い距離を泳ぐ事が出来るのは訓練の成果があったのか。

 

当時、ダイバーになったところで、真鶴の海ばかり。

たいてい寒いし、時に透明度は30cm ほぼ見えない・笑 

時に迷って、長い距離を泳いで良い事はあまりない。

もう潜るのはいいや!と思った頃に円高になって、

夢にも見なかった 南の島パラオ。

20年くらい間を空けて、またパラオへ行き始めて、

ダイバーにとって最高の南の島なんだな。つづく

完全退職まであと僅か!セミリタイアに突入して思った事。

FIREムーブメント 早期退職が話題でしたが、

最近は あまり見かけなくなりましたね。

 

実際に私、今月は 4連休、3連休、5連休、7連休。

来月は半分位は 仕事があるかも?ですが、

ほぼリタイア!まもなく お呼びは掛かりません。

今、思った事は、最初の無予定4連休で「刺激が無い!」

気持ちが落ちてしまって、迫りくる7連休、

何するの?不安になってきました。

 

思えば最後の正月は中学、高校1年からバイト大好き。

4~7日間も予定が無いって、小学生の夏休み以来だ。

 

まぁ これは 先輩や若い後輩からも、説教されてた事。

「1か月したら、暇が苦痛になる」

また、新たに仕事を始めた 先輩も多いんだよね。

 

冬は、思うぞんぶん、スキーが出来るぞ!って?

細かいプランは 練って無いからね。

 

雪山で 新たな世界を展開するなら、

スキー場に籠って、何かしら 労働に参加する事。

英語が堪能で 接客が得意なら 人脈が広がるだろう。

 

お客の立場なら、しょせん そこまでなんだよね。

たぶん飽きて、孤独が襲ってくる。

 

「仕事して 余暇で遊ぶから 楽しいんでしょ!」

ごもっともだな~今の旅行、たいしてオチがない。

 

今も、過去に縛られ、妄想していたのは、海の旅。

ダイバーって、目的を持った旅をする。

タオ島で ジンベイザメを追いかけようとか、

パラオのブルーコーナーへ、絶対に潜りたい!

マンタに会いたい!いずれも 自然は保証はないが、

目標が同じで集まった同志、盛り上がっていく。

私は観光地や博物館を巡って、食べる旅行ではなく、

もう一度「旅」を展開したかったのだ。

 

今回のセミリタイアも、後輩たちから 苦言だらけ。

「職場に来てるから  健康なんでしょ!」

「リタイアしたら 絶対に、太りますよ~」

 

次回の仕事日は、スリムを維持し出勤せねば・笑

 

親戚の男たちは、リタイアしたら 短命なんだよな。

辞めたら生き甲斐をなくし、食べて飲んで。

一方、女性陣は、ウチの母を除き、未だ健康で長寿。

95歳の 叔母はエレベータを拒否し 階段を歩く。

男より、女性はしっかりして たくましい。

 

老後の資金面もありましょうが、

何をするのか 目標をしっかり。

車で一人北海道へ向かっても良いのだが、

これまた無目的。その先に何があるのだろう。

それに家族の手前、なかなかそうもいかず、

家があれば あまり長期は 離れる事も難しい。

 

私は芸能人でも政治家でもなく、

少し早くリタイアしたところで、

遅かれ早かれ  暇は訪れる。

これから有り余る時間を どう過ごすのか?大変な問題だ。

「断捨離」Catch The Wave!サーフィン系 60歳代・完全引退

60歳を超えても、波には乗れるでしょうが、

東京から近く 空いてるサーフィンビーチ、

常に遊べる波があるのは 九十九里の海ですが、

遠い沖まで 泳ぐのは かなり息が切れ、

激しい運動になりますので 身体が持たないと自覚。

(最後に海に入ったのは震災の翌年 2012年まで)

東京周辺の海で スローライフは無いので、

もう完全引退を宣言し、最後のモノを売却です。

 

ハワイのローカルモーション サーフショップで

BZ DIAMOND STINGER 、ボディボード USD 120で購入。

調べたら1988年 35年前!Vintage(買取価格100円)

この時 タウン&カントリーの ロングボードもUSD500で購入

キレイなうちに 後輩に1万円で譲りました。

先日の記事、BOSE 101スピーカーと共に HAWAII 安っ!

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30年くらい前?ユナイテッド航空のHAWAII、

パッケージ ツアー代 7~8万円位と安く、

更に5千マイルも ボーナスマイルが付いて、

mileage plus セゾンカードと相まって 大盤振る舞い!

 

この頃は ハワイが旬!と言えたかも知れませんね。

BZ DIAMOND STINGER に乗る筆者です。

通勤途上に 波乗りプールがあったり、

上手くストレスを回避できた 社会人人生でした。

こちらは ムラサキスポーツで 20年前に購入?

経緯は 覚えておりません(買取価格200円)

友達の奥さんが 撮ってくれた この板に乗る筆者です。

こんな景色が見えます。これは無謀にも 自分で撮りました・笑

大海原を滑走すれば 嫌な事はすっ飛んで、

移住した親の家の側が、サーフィンビーチだった事も幸いし、

30分ほどの短時間で ストレス発散するには、

短い板のボディボードは 機敏性を発揮しました。

 

板をクルマに放り込んでおけば、サッ!と出来た訳。

海から上がれば ペットボトルの水を1本かぶって終わり。

良い波に1本だけ乗れば良い。当時46歳の筆者です。

あと、ヒビ入りフィンが 50円で買い取ってもらい、

もう一つ、良品が 800円=合計1,150円で清算!

心身とも丈夫になった 人生で素晴らしい趣味の一つ。

 

特に 短いボディボードという板は 気軽で、

介護の親を見る合間「ちょっと海へ!30分で戻る!」

一波だけ乗れば、不安や嫌な事も飛んでいっちゃう。

 

同時に海の自然、海岸の浸食 砂の堆積という 

重病を抱えている九十九里の海の問題も知った。

Catch The Wave!海よ ありがとう。

不思議体験の始まり①「潜水旅ホームページ作成」先手必勝 2001年

第2期 ダイビング MYブームを再開した 2001年、

この話は「先手必勝」と言えるかも 知れないな。

旅先への暇な道中、ホームページを作り始めた。

ソフト満載 富士通のPC「ホームページビルダー」

モデムを買って 電話線をつなぎ ダイヤルアップ。

 

その頃 ADSLが登場し ネットが使い放題になった。

 

ダイビングをする人は 水中写真を撮っており、

ホームページを 持っている人がいたから、

お互いメールで情報交換し 相互リンクした。

 

私は高価な カメラを持っていた訳ではなく、

水中写真の ホームページより 見劣りするので、

潜水旅行の物語を ホームページに上げていった。

 

「準備・出発→道中の様子→ダイビングサービス

→海に潜って→アフターダイブの一期一会 

→友達が出来て 再会を約束し、旅を終える。」

 

こんな内容を 5ページ程度にまとめ、

ダイビングサイトの カテゴリを増やしたが、

これが けっこう人気となったのだ。

 

当時の情報は、月刊誌を頼りに旅に出たから、

素人の体験談がウケたのかも知れない。

 

私の 内容が充実し、ヤフーがカテゴリ登録してくれ、

アクセス数が 右肩上がりになって行き、

何かに紹介された日にゃ、爆発的なアクセス!

怖くなって ページ削除した事もあった・笑

 

リピーターで 遊びに行った先で 驚く事があった。

 

「私の体験談を 印刷して来る客がいる」という。

ビックリ仰天 感動してしまった。

 

それから 行くとなれば 既に盛り上げてくれており、

旅日記に登場したい人が 集まって 一緒に旅をして、

貴重な 人生経験をさせて頂き、ホント楽しかったよ。

 

潜水旅のHPは 初の旅先においても効力を発揮。

現地に挨拶がてら メールにURLを添付しておけば、

私の経験値が 一目瞭然に伝わり、

到着すれば 即 豪快な海に繰り出せたから。

利用した 現地サービスとも、相互リンクをして、

一時は 「検索しても 私のHPばかり出てくる!」

知り合いの 潜水旅行社から 苦言があった・笑

今でもグーグルで「昭和・高校生・タバコ」と検索すれば、

このブログが一番にヒットするが・笑

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当時、あれほどヒットするとは 想像もつかず、

「先手必勝の訳」他に やってる人が いなかった

その後は、このブログの調子で 多岐に渡りUPしたら、

サーバーがいっぱい!他のサーバへの繰り返しで、

収集が付かなくなった頃、世間は MIXI 経て、

Facebook、Twitter、私のHP掲示板に集まらずとも、

それぞれが 書ける時代となり、お役 御免となりました。

 

それでも、はてなブログが 2011年~というから、

10年 位に渡って、素人ホームページ全盛期だったのか。

 

誰もやっていない事を、真っ先に始めるのは、

ハードルも低く 「先手必勝」とは 良く言ったもの。

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振り返ると、いろいろ楽しい資料が出てきたので、後日。

2022ふるさと納税⑪川南町宮崎牛切り落とし1.2kg

川南町から、宮崎牛小間切れが届きました。

畜産が盛んな町なので、本当の特産品ですね。

いやいや、良心的な寄附金返礼品に思います。

波乗りやっていた頃、宮崎へ移住した仲間も。

東京五輪が開催された、千葉県の九十九里浜が

関東では人気のサーフスポットだけど、

東京都心から近いゆえ、サーファーで混むしね~

 

そして九十九里の海は、私は11月が寒さの限界だから。

何しろ、宮崎は温暖で海水も暖かい。

私も夢を追えば、違った人生もあったろうし、

人生の可能性は無限で、自分で切り開くモノ!

とは思ったけど、60歳を過ぎれば身体がね。

昔のサーファー仲間は、どこでなにをしてるやら?だ。

川南町長さんのお礼とともに、宮崎牛の返礼品。

また、遊びに行かせてもらいますね。

近視で老眼になった「シニア労働者の苦悩」

40過ぎて 20年お世話になった仕事は、

管理部門でマイペースはなく、

俊足チームワークなので 向き不向きがある。

 

「若い連中」は35歳位で、それより若い人はおらず

人間関係はある意味ラクなのだ。

 

しかし久しぶりに、仕事社会の厳しさというか、

職場は 家族ではなく 仲良し友達でもない。

助け合って、仕事を進めてからこそ、

仲良し関係なんだと、つくづく思い知らされた。

 

若い連中から、ヒソヒソ話を聞いて、

新しくきたシニアさん、視力が悪いのはまだしも、 

老眼になり 近くも見えないというのだ。

 

何かを確認すろも、眼鏡をオデコに乗せて、

更に見えずらいから 時間がかかる。

 

目に余った若手が  サッとやってしまうし、

更に負担が増える 若手の不満は募るばかり。

急を要する時は シニアに後輩から罵声が飛ぶ始末。

 

私は幸い視力良く 今も新聞は裸眼で読めるけど、

年とって近視老眼  新しい環境で働くのは大変なこっちゃ。

誰だって 遅かれ早かれ 老化は避けられず。

 

久米島で潜った際、ギンガメアジのトルネードが撮れ、

中居君の番組に 無償提供した動画なんだけど、

番組では 学者が解説してくれて 為になった。


www.youtube.com

社会人も魚群のように一体感で回るけど、

馴染めない魚が 外れて行くのは、

「泳げ!たい焼きくん」になるかもだが、

形にハマって動きずらくなったら、

私もハズレちゃうしかないか!

少なくとも60までやれば、群れから離れるのもヨシ!