昭和58年ダイビングを始め、最初に買ったのはナイフ。
水中で身体に釣り糸など絡みついた時の脱出に使う。
あとダイブテーブル時代だから時計は絶対に必要。
横浜のダイエー時計コーナーでセイコーダイバーを買った。
2万8千円を24回払いで。お金はない・笑。
当時も安売りのダイビングショップがあった。
3点セットは高田馬場のブルーサブで、
レギュレータとタンクは池袋のMAUI、お気に入り2店。
タンクがあれば千円程度でエアチャージ出来たから、
車移動で安く潜るには持ってて良かった!?
バイクの車検と一緒で、耐圧試験を通すお金もなく、
1年?しか使わなかったから、元が取れたかは疑問。
夏の海、若かったから裸で潜っても寒くなかった。
ウエットスーツ着なきゃウエイトも不要だ。
つまり中性浮力はおもいのまま?笑
独り立ちダイビング 5本目・・・
ウエットスーツが買えた。
5mmのロングジョンと上着がこの頃の主流。
独り立ちダイビング10本目・・・
スタビ(BC)が買えた。
安かったから2層構造の性能は悪いものだったが、
独り立ちダイビング15本目・・・
主に潜っていたのは、真鶴、葉山、石橋、根府川、
お金に余裕がある時はIOP、大瀬崎はリッチな気分。
5人乗りのマイカーに4人、タンクも積んで行ったから。
コミコミ、ダイビングツアー予算は一人5千円。
ギュウギュウだったが、それも楽しかった。
仕事は夜勤がある技術系の公務員になったが、
手取りは10万円前後だったから、
日勤の事務職は更に2万は少ない安い給料だ。
ボロいながら寮や宿舎が完備し食費も安かったんだが、
逆に言えば外の世界では生活できない安給料。
車も潜水器材も全て24回払いの高金利ローンだし、
今なら自己破産まっしぐら。
マイタンクの耐圧が切れる頃には、
ダイビングを続けるのは無理と思い始めた。
行ける海の透明度はたいてい数メートルしかないし、
魅力的にもダイビングから心が離れていった。
大きく日本が変わったのは昭和60年ころ。
1985年のプラザ合意から為替が 1ドル250円が100円台に!
円高不況で、日本の輸出企業を直撃したというが、
豊かになっていく転換点だった気がするな。
私的にはここが救いの神様。
サラリーマンの所得は増えて借金は減って、
働いてりゃ何とかなるさ!お金はないが不安は無かった時代。