思い返しても パラオというところは、
日本人ダイバーにとって パラダイスだった。
初めてパラオに行ったのは、結婚前の昭和60年頃、
潜水系旅行社の企画5日間ツアーに参加。
交通費、宿、ダイビング×3日など含め、
16万円くらいだったと思います。
当時は北海道や沖縄へ、飛行機代だけで5〜6万したから、
2ボートダイブ込、格安感がありました。
為替は 1ドル200円~130円を乱高下、
ただ今と違って、物価が日本よりとても安かった。
この旅行の後に 私は結婚したのですが、
パラオ旅のメンバーは、一期一会とはならず、
結婚式にも来てくれて、その後も一緒に海に行ったり、
とても素晴らしい出会いがありました。
当時は携帯電話はなく連絡は手紙、
疑いも無く 私のログブックは 住所録になった。
TwitterやSNSがなかった時代、
出会いは旅の最大の醍醐味でした。
その後も、ウチ夫婦+兄弟とその友達とか、
しばらく間をおいて、一人旅でパラオに行った。
なんでパラオ?沖縄でいいのでは?
常夏なんですよね~気温も水温も28℃~30℃
私が一番元気になる気候です。
若い頃は 海パン一丁にタンクを背負って 水温30℃それも可。
そうそう、海外の南の島にデビューしてから、
快適過ぎる 海水温28℃以上の海限定ダイバーに。
もう体育会系の 伊豆ダイバーは失格です・笑
日本人ダイバーに パラオが最高だったのは、
流れが速い上級者向けの豪快な海に、
10本程度の初心者ダイバーも安全に潜らせちゃう。
高スペックなガイドが揃った ダイビングサービスは、
ありがちな、偉そうな雰囲気はまるでなく、
あっけらかんと笑顔が絶えず、
当時はシャイだった私もすぐ溶け込み性格も変わり、
オチャラケ還暦ジジイになった次第です。
当時のコンチネンタル ミクロネシア航空は、
グアムを拠点に 日本各都市を結んでいて、
日本人ダイバーが集まりやすい地でもありました。
しばらく行ってませんが、その後は世界遺産に登録。
中国マネーが入り、台中 観光客だらけとなり、
大変な事になったと聞きました。
素朴で自然にあふれたパラオ、
世界遺産なんかにならなきゃ良かったのに。
私の勝手な思いです。