久々に鹿児島に行ってきました。
旧海軍電信室、海上自衛隊航空史料館、
一泊目は、鹿児島市内五つ星 城山ホテル泊。
指宿 知林ヶ島、砂蒸温泉、
二泊目は、指宿ロイヤルホテル泊。
例によって、マニアックかつ盛りだくさんの、
二泊三日の旅行になりましたので、
忘れないうちに、記録を残さねば。
さて、羽田から鹿児島一便は満席でして、
JAL株も、右肩上がりになってきました。
インバウンドに頼らずとも、内需で景気は持ちそう?
レンタカーは久々の、3気筒1000㏄ トヨタパッソ。
それなり良くできた車で、キビキビ走らせても、
426km走って、レギュラー23L消費。リッター18,5km!
ハイブリットじゃないですよ、笑
鹿児島空港から、高速を使って串良にある、
日本海軍の地下壕、第一電信室へ向かいます。
太平洋戦争時、特攻隊員が敵艦に突入する際、
電信(モールス信号)を受け取った通信指令室は地下にある。
「ワレ敵艦二突入ス」
20歳前後の男の子が、ゼロ戦の操縦桿を握り、
突っ込む寸前、最後の通信となった訳だ。
深さ7mの地下に、全長57mの空間で、
換気が悪く高湿度の労働環境、
24時間3交代制で司令員は働いていたそうです。
特攻隊員、司令員の気持ち。
戦時中の父の日記を読む限り「少年飛行隊」
「小学校を出たら国のために死ぬ」と教わった世代、
別れの盃を交わし、見送られて飛んで行く。
電信指令室を後に、海上自衛隊鹿屋航空基地史料館へ
ここには父の話、比島に飛んで行って戦死した伯父、
展示物を見ていると、いろんな謎の話がつながりました。
つづく・・・