ついに元旦に年賀状が来ませんでした。
昔は学校や職場で住所録を作って配布したり、
旅先で知り合ったら 老若男女問わず 住所交換して、
年賀状を書くのも 大変でしたけどね。
いつしか職場では 住所録は管理者限り。
旅先で 住所交換したのは いつまでだったか?
Twitterやら SNSが 流行り出してからだな。
旅先で「写真を郵送するよ」って言ったら
「え?いらないし~教えない!」世知辛い世の中だ。
年賀状のやり取りも、昔の仲間限りとなっていた。
しかし、昭和の郵便全盛期の元旦 労働側は大変でした。
どのお宅も 50~200枚もの 年賀状があるから、
元旦の午前中に 配り終える使命は高校生に託された。
試験休みになると 悪友と郵便局へ集合し、
貨物自転車の前後に、大変な量の年賀状を積んで、
権之助坂を目黒駅に向けて、立ち漕ぎで駆け上がる。
当時は労働運動が盛んで、公共交通などストライキ三昧、
郵政職員も、当時は 国家公務員の立場ながら 例外なく、
おかげで高校生バイトに 時給600円という高給が支給
公務員の大卒初任給が 8万円の時代だから、
下手すりゃ若い正職員より 稼いだのでは。
それゆえ1970年代は、750ライダー が現実味。
高校生がオートバイに乗って、ガソリンが買えた訳だ。