早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

65歳を待たず早期リタイア後の日常生活・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

昭和の東京・2K団地生活「ビール全盛期・子供部屋は必要か」

昭和的歴史館に行けば 当時の暮らしが解るが、

ワタシ的「そんなに家は広くなかったぞ!」

主流の2Kか2DK団地に 4〜5人住まい。

食卓は 調味料や冷蔵庫のもの

誰かに言えば 座ったまま手が届く。

 

叔父の都営住宅は もっと狭く 集まれば10人規模。

皆くっついているから 話も通る。

 

お金がなくも ネガティブな気分は一切なく

楽しかったのは「いつも側に誰かいた」なんだろか。

空襲焼野原東京から 近代的な団地に住めた母は、

流れる月日、毎日その日が最高!だったろう。

 

テーブルに置かれる 大型ビール。

 

昭和55年頃 ビール業界全盛!ミニ樽シリーズ、

 

安くないが 当時は これがバンバン売れたのだ。

冷房が普及してなかったから 夏はビールがすすむ。

 

サッポロジャイアンツという 2L瓶が 千円。

今も庶民の味方 大型量販店なら 3Lで千五百円程度。

40年以上 ビールの値段が変わらず 感謝である。

 

社会に出てビールが飲める歳になって、

狭い場所に居場所なく「巣立ち」だ。 

 

なにしろ寝ていても、兄弟に踏まれ目が覚める。

親父と弟が 取っ組み合いのケンカを始めれば、

こちらにも被害が及ぶ 狭い家。

 

高校受験の前後は、私も台所横の3畳納戸、

勉強部屋が与えられ、

五反田TOCのセールで、家で始めての冷房

窓に付けるクーラー(9万円)を買ってくれた。

 

もちインバーターじゃないから

ONかOFFの 電気代がめっちゃかかるやつ。

高物価の時代、私の為にありがとう両親!

 

私が家を出れば 弟妹がそこを使える訳。

その後は 住宅事情が良くなり子供部屋が普通に。

まぁ私は 好奇心旺盛ヤンチャだったから、

窓から抜け出し 渋谷のディスコへ行くガキ・笑

私に限っては 子供部屋がなくて良かったな。

 

周囲の目がなきゃ 糸が切れた凧になっていただろう。

 

昭和40~50年代より、絶対に今の方が生活はラク。

と思うのだが 借金大国 日本の先行き不安から、

節約!貯金。児童手当!もれなく貯金。

 

使えば良いのに ウチ含め お金は使わなくなった。

 

あ!40年前に 大生8杯飲んで 一緒に暴れた先輩から

「まだビール飲んでるのか!そんな高いモノを!」

まっとうなビール党に 説教されたのだが、

「あの頃より ビールは手頃な価格だよ!」

 

将来不安.一層の節約志向は 今後も続くだろう。