早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

プラザ合意1985年の円高で「夢が実現に!」南の島へ潜水旅

55日間スキー旅(滑走45日)を終え 暇になった還暦プラス、

GWが終わって 6月から「旅」活動再開します。

worldwidetraveler.hateblo.jp

さて初めての海外は、1985年プラザ合意から、

240円だったドル円が、150円という急激な円高になった。

 

ハタチ頃に潜水訓練を経て 三浦や真鶴、伊豆七島で潜ったが、

活動範囲の展開が見込めず 限界を感じていて、

ダイバー仲間の 同僚と後輩たち、叶わぬ夢は「南の島」だ。

 

仕事が終わって、渋谷の居酒屋に集まった。

 

 

「この円高で、グアムに行けないか?」

「南の島へ最後のチャンスかも!」

グアムでの夢を語りあい「ブルーホールに潜ろうぜ!」

 

水中の崖壁を 水深42mまで一気に潜行し 洞穴に突入、

水面を見上げれば、 ホールの上穴がハート形に見える。

 

日本では経験出来ぬ 冒険ポイントの透明度は50mを超える。


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次の仕事明けで それぞれパスポート取得する事で合意。

 

その後 赤坂のアメリカ大使館へ ビザをもらいに行かねば。

当時 日本人は グアムに行く際も 米国ビザが必要だった。

(パスポートに押してもらったVISA 1985年)

 

条件の1つに 残高10万円がある 預金通帳の提示が必要。

 

アメリカ側としては お金がない日本人が来て、

日本に帰らず、居座られたら困るという事だろう。

 

 

この頃、給与は現金支給~封書に入るほど薄かった。

 

だから後輩は通帳を持ってないし~そもそも お金がない!

 

10万円の残高証明はどうすんだ~貸し借りしよう!

旅費は 月の手取り額ほど 12万円もした。

 

そもそも6日間も 休みをもらえるのか?

夜発、朝帰りとしても シフト勤務で 4日間は必要だ。

 

ウチらは 国鉄職員だったので「職場がお家・鉄道一家」

 

ドメスティックな環境で 皆の理解が得られるのか?

 

国家公務員など お国の仕事は「渡航届」許可が必要で、

海外旅行はハードルが高く、言い出せない ウチら。

 

そんな時に、奥さんが 国際線のスチュワーデスで、

海外に理解がある先輩が「お前らグアム行くんだって?」

 

皆に聞こえる大きな声で「餞別だ!」と5千円くれた。

 

それを聞いた 他の先輩たちも、

実子を送り出す気になったのか、餞別が集まり

米国ビザを取得する 貯金額をクリアし

職場の上司 助役も「行って来い!」渡航届は受理された。

 

 

良くも悪くも 人間関係が濃く「国鉄一家」と言われたが、

この時 良い職場に勤めたな~心の底から思った。

 

あの時にグアムを諦めたら、その後の潜水旅はなかったし、

ダイビング自体をやめていただろう。

 

特に海に潜るには 国内にいるより、

世界に飛び出す意義は大きい 海外の常夏エリアだ。


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その後、円高は進み グアムは国内旅行より安く、

何度も行く機会に恵まれたのだが、

それもこれも 1985年頃の、先輩諸氏のおかげです。