親父が、自身の死期を悟った時「もってろ!」と、
天皇家、菊花紋章の金杯を引き継いだ。
終戦記念日に「形見」埃を払い 磨きました。
母は4人兄妹の 歳が離れた末娘でしたが、
うち戦争に行ったのは 長男から三男の3名。
戦死したのは、パイロットの長男と、通信兵の次男。
映画トップガンの、マーベリック&グースみたいな、
コンビで飛んでいたなら まだしも、調べるほど泥沼。
母の両親は、東京大空襲で死亡としても、
地方に疎開し 被弾を免れ、終戦時は12歳。
少女だった母が、焼野原で1人 生き延びた「謎」
三男は満州(大連)に行って 東京に帰ったが、
生きて帰った事に心を痛め、
公園で生活していたところを 近所の人に発見され、
母と三男は、再会することが出来た奇跡。
その後、三男はすぐに家庭をもち、そこで母も育てられ、
公務員になったようだが、職場で父と知り合い結婚。
親戚で集まったのは 私が中学までで、
叔父や叔母、両親も 暗い影無く 底抜け 明るくて、
私が聞いて 知っているのは、ほんの少し。
それぞれ 映画になりそうな 過酷な体験を生き延び、
聞きたい、知りたい事ばかりなり。だが、
しかし、少しも思い出したくない、辛い日々だったろう。
そんな話をしたくないから、おちゃらけていたのかも。
もっとも既に みんな、死んでしまったから。