「還暦プラス」アウトドア旅行&日常備忘録

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

44年前・初任給の思い出「手取りが少ないのは昔から」

今週のお題「初任給」

私の初任給は1981年、基本給 89,800円でした。

 

時代背景は、2回もオイルショックがあって 原油高、

インフレ高金利、世界同時不況だったみたいです。

 

昭和一桁生れ 焼野原世代、父の大卒初任給が 7千円、

私の8歳上の先輩、高卒初任給 5万円だったと聞いて、

毎年、すいぶん給料が上がった 時代でしたけど、

 

物価上昇が激しく、所得は後追いだから 生活苦です。

 

さて、何で 44年前の給料袋を 持ってるのって?

 

私は母に「生活費」として、給与袋に3万円を入れ手渡し、

親は袋を捨てず、実家を処分した際に 出てきたのです。

 

 

初任給の頃は、3食 安く食べる事が出来る 寮生活。

狭い相部屋だけど、光熱費などお金が掛からず、

 

住民税は2年目からなので、差引額は少な目ですが、

私は高卒で 18歳から共済(厚生)年金を納め始め、

 

この頃の 国民年金20歳~4,500円/月に比べ負担が重い。

 

 

そして時は車の大衆化、若者の興味はクルマ!月賦3万円。

今と変わらぬ 高額ガソリン180円 低燃費 4~8km。

 

どうやったって 生活が出来る訳がなく あとは自助努力。

休みはバイト!夜もバイト!良く働いた・笑

 

良かったのは健康保険、職場の病院は無料だったし、

風邪で診療所に行っても、初診料数百円で済んだ。

 

ただ癌は治らない時代、本人には秘密にして、

3番目の叔父は胃がんで、40歳で亡くなってしまった。

 

今や、国民健康保険料って すごく負担が重いけど、

腸閉塞まで大腸癌が進んだ母は完治したので、

治る時代ってのは、素晴らしいと思ってしまう。

 

話は戻って、基本給が 毎年1万円位 昇給したけど、

2年目から住民税の天引きが始まり、手取りは増えない。

 

昭和60年・・・約1割額が 共済(厚生)年金で引かれ、

事務担当に「年金やめたい!」アホな事を言った・笑

   

 

その後、親に渡していた 生活費の 3万円は、

5年後に結婚した際、200万円になって返してくれた。

 

負担が重かった、共済(厚生)年金保険料ですが、

これも 75歳まで生きれば 元がとれそうだし、

 

職場が負担してくれた額を 考えても85歳ってとこ。

大きなお得感はないにせよ、安心は手に入ったから、

 

手取りが少なく生活が辛くても、強制的に引かれたのは、

母に渡した3万円、共済(厚生)年金とも良かった。

 

だって もらえば全部使っちゃった 時代ですから・笑