今さらですが、衆議院のホームページを見たら、
「戦後政治の総決算」
元総理 中曽根さんの発言と 本音が書いてあった。
当時私の3つ上の先輩は、国鉄採用試験に合格しても、
臨時雇用 準職員という不安定な立場でいましたが、
数年後の東北・上越新幹線開業に向け過年度採用が始まり、
私の時は新卒のほか、年に数回もの採用試験があった。
ところが僅か数年後に、採用が全面ストップしたのは、
昭和57年 総理大臣が中曽根さんになって方針転換。
日本国有鉄道、電電公社、専売公社と日本航空の民営化。
「国鉄労働組合は総評の中心、崩壊させなきゃならん。
総理大臣になった時に国鉄の民営化を真剣にやったら、
国労は崩壊し、総評も社会党も崩壊した。」中曽根さんの本音か。
渦中を生きた俺ら、政治も組合も興味が無い若者だ。
職場の組合は主に国労と、動労(動力車労組)があった。
まず2つの労組は、とても仲が悪かったが、
どちらもストをすれば、日本が混乱に陥る力を持っており、
仕事は当局より 組合が回しているような変な職場とは思った。
両親もそれを心配したが「親方日の丸だから」と言った。
だんだん中曽根総理の実行力が進み、国鉄総裁から手紙が届いた。
「誰ひとり路頭に迷わせない」と書いてあった。
過激な組合だった鬼の動労は、方針転換し当局と協調路線へ。
ところが国労は最期まで「反対」をした。
私は言われるまま、職場のロッカーに組合のポスター貼って、
たいして年が変わらぬ、東大卒の助役が剥がすの繰り返し。
若かったゆえ、気分はエスカレートしがちだが、
「俺たち何をやってるんだろ?」助役が一言、涙をこぼした。
「あ~やめた!俺たち一生懸命に働きたかっただけ!」
組合も社会党もクソくらえ!上司と私はこれで終わりにした。
だけど同じ組合員は「団結がんばろう!」仲が良かったし、
かつ最期まで「反対」を貫いた国鉄労働組合ゆえ、
新たな道を進むには「裏切り」になる。
憎しみ妬み、友情に亀裂入り壮絶な人生ドラマの始まりだ。
中曽根さんは敵であったが、良くも悪くもスゲー総理だった。
今になって 北海道の旧国鉄廃線を巡るのが 趣味だけど、
ズタズタになっちゃった線路を見て複雑な想い。
あれほど大きな仕事をする、政治家はもういないだろう。