「還暦プラス」リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

終戦日に金の盃を磨く「叔父たちのフィリピンの戦い」

最近見た映画、テレ東の午後ローで「硫黄島からの手紙

アメリカ人、クリント イーストウッド監督の作品、

良く出来た映画で興味深く鑑賞しました。

さて、親父が他界した時、金の盃がウチに回ってきてから、

終戦日は陽が昇る前に、盃の埃を払い磨く事にしました。

これは私にとって叔父、母の兄(長男、次男)2人の形見。

三男はかろうじて満州から生きて帰り、

母方で生き残ったのは、三男と私の母の2名のみです。

 

父方のほうは、一番上の叔父が中学生で特攻に志願し、

予科練に入ったけど実際は戦地に行かず、

 

東京在住の母方叔父3名に、招集令状が届いたようです。

鹿児島の知覧特攻に行った際、調べてくれたのですが、

壮大すぎる歴史の出来事に、陸軍か海軍だったのかも知らず、

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もういちど戸籍に書かれた内容を見直すと、

叔父2名は「フィリピンの戦い」

 

長男はマニラの北部で昭和20年5月、

次男はマニラの南部で昭和20年6月に戦死と記載がある。

 

昭和19年末からフィリピンでも神風特攻隊による作戦開始、

 

映画「硫黄島からの手紙」を観て、フィリピンの戦いを調べ、

この頃にルソン島にいた叔父2名って戦争終盤、

 

水も食料もなく餓死する兵士、赤痢マラリアが蔓延、

通信設備も無くなり終戦の知らせも届かったようだし、

 

極悪の体調、飢餓の中の戦死と推定し心苦しい。

 

しかし1945年って、先日はスウェーデン白バスも見て、

日本に限らず世界が泥沼の地獄。

つくづく今の時代に生きた事の幸せを感じちゃった。

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終戦って、大きな悲しみを背負った 母の悲願だったろうが、

歳とって認知症のテストに同行したら、全てを忘れてしまってた。

 

戦争は恐ろしいけど、平和で長寿になった幸せな世の中、

私にとって今は認知症のほうが恐ろしいか。

 

まぁ、私は円高の波に乗って恵まれたのは、

余暇はマリアナミクロネシアの激戦地の海に潜って、

撃沈された多くのゼロ戦や沈船を見る事が出来た。

 

グアムのアプラ港に沈む、東海丸は良く潜ったけど、

戦前はアメリカと日本を結んでいた高速貨客船ってのを再確認。

戦中は日本海軍の輸送船になり、1943年米軍の攻撃を受け沈む。


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心残りと言えば、トラック諸島(現チューク)の沈船群を、

調べながら潜りたかったけど、人生はそこまで長くないし、

もっとも叔父たちの人生は、20歳までなかったから、

文句や愚痴を言えば、天国の叔父たちに叱られちゃうね。