私がパラオの海に最初に潜ったのは 40年前の20代の頃。
その後ブランク~そして40代の頃。2つの時代に分けられます。
パラオは日本の南、グアムとフィリピンの間にある常夏島。
私の頃は 日本人ダイバー100%とも思える社交場だった。
なんでダイバーはパラオ好き?スキースノボに例えるなら、
北海道のニセコアンヌプリ、旭岳に値するだろうか。
豪快な海、日本人ダイバーがリピートするのがパラオだった。
1983年頃パラオなんて 夢にも思わぬ高額ツアー。
最近 羽田空港に行くと パラオツアーのパンフを見かけますが、
あ~42年前の水準に戻っちゃいましたね~ひどい円安だ。
1980年代当時は もうダイビングをやめる気でしたが、
彼女にパラオに行くのを誘われたってのは(現 奥さん)
5日間のツアー、4フライト ホテル ダイビング込みで 16万円。
「ずいぶん安いね~決行!」
1985年プラザ合意後、庶民に追い風が吹いてきた瞬間だった。
飛行機はコンチネンタル ミクロネシア B727 前半分が貨物。
朝10時に成田を出発し~サイパン、グアムでトランジット。
グアム~ヤップ、コロールパラオには 夕刻に到着した。
昭和の時代、帰路はヤップ島を日中に飛んだので、
まるで絵具を垂らしたような美しいラグーンを見る事が出来た。
(40年前に撮ったコンチネンタル パラオ~ヤップ B727の機内)
1980年代のパラオは「日本・パラオ友好の橋」(KBブリッジ)はまだなく、
ローカルが橋で釣りをしているノンビリした島でした。
最少遂行人数20名のパラオツアー、メンバーはすぐ仲良くなって、
夜は居酒屋に集まってビールと コウモリのスープを食べた事、
ワイワイ過ごした5日間は、今までにない良き思い出になった。
住所を交換し再会を約束して、実際に再会が出来た良き時代、
この時のメンバーは、ウチらの結婚式にも来てくれました。
さて波乱万丈の旅、帰路のグアム~成田DC10型機は離陸したが、
「なんでロタ島が近くに見える」妙に低高度を飛んでいる。
「テニアン島すれすれ~墜落するぞ!」サイパンにランディング。
コックピットと連絡している様子はないが CAがドアを開ける。
タラップはないが、機内は我慢の限界に達する猛暑。
訳は知らされずサイパンでもう1泊(宿とタクシー代はコンチ持ち)
その後も波乱万丈尽くしだったが 翌日の同じDC10へ。
グアムならともかく、サイパンに整備する施設ないよね?
数日後の新聞を読んだら・・・成田でも同事象・笑
「グアムからコンチのDC10 エンジン1基止成田緊急着陸」
またやらかした!だましだまし飛んで修理してないぞ・笑
サイパンなら騒ぎにならんけど、そういう訳だったのね。
40年前はアメリカで最低最悪と言われた航空会社
「コンチネンタル航空」その後は生まれ変わり良くなった。
もっとも40年前はコンチに限らず・・・そんなノリはあった。
波乱万丈な旅ほど思い出に残り経験値も上がる。
それでも懲りずにダイバーたちは、
コンチでミクロネシアの海に夢を求めて向かうのだった。
次回はパラオ第二期「世にも不思議な旅物語の始まり」