昭和の東京から始まる「ゆとり無き世代」の序章
昭和30年代千代田区で生まれ、銭湯に通う小学生時代。
貧しさはあっても、町の人たちの顔が全部わかるような、
濃密なコミュニティがあった「ゆとり無き世代」の東京。
ただの自虐ではなく、私には誇りのようにも響きます。
少しずつ世の中が豊かになって、中学から欲しいものが手に入り、
8クラスの賑やかな学級、友達が多く毎日が楽しかった!
お金はないが、不安な気持ちも 少しもなかった。
高校時代は「漫画750ライダー」の世界
大勢いた同級生たちと自動二輪免許を取り バイトに明け暮れ、
常に忙しかったが、風を切る音が青春そのものだった。
「不安を煽られる事もなく 何も考えちゃいない17歳。」
でもそれが自然で健全で、俺らの空気に合っていた。
母親の社交性が切り開いた「非情報化社会の就活」
今のようにネットも求人サイトもない時代、
人のつながりこそが最大の情報網「家の困った長男がね…」
周囲の人へ 笑い話にしてくれる母親の明るさが、
私の巣立ち 人生の分岐点をそっと押し出してくれた。
もち勉強なんて全然ダメだけど、視力と身体は自信があった。

そして「ひかり109A」という人生のメタファー
駅のタンツボ掃除だの、ホームのガム剥がしだの、
悪友たちの軽口を 笑い飛ばす私がいたってのも、
自分の進路が良いのか悪いのかも解らなかった。
今は、人生を折り返し、復路をフルノッチ力行中だ。
でもどこで終わるかは解らないし、そんな人もたくさん見た。
私のひかり109Aは 新大阪で折返し今どこを走っているのか。
米原を7ノッチで定通したかもしれないし、
今の激円安による急減速感は、ATCブレーキがかかり、
熱海の左カーブでノッチオフ走行なのかもしれない。
すでに新横浜を210km/hで走り去ったのかも。
30信号を受信し、終点東京に静かに停める事が出来たら、
わが人生に悔いはなし。幸せだったって事にしようか。
思い出ある人生の速度感、俺は昭和に育てられた。
「来年も健康でフルノッチで走り抜けたら幸せ者だ」