還暦アウトドア旅行&日常備忘録

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

昭和・我が青春時代ほぼ石油危機だ!スタグフレーション時代に就職した話。

1960年代初期生まれの私、日本が豊かになる高度経済成長期と思った。

 

何もない長屋に三種の神器(白黒TV、洗濯機、冷蔵庫)が来て

小学生の頃に電話が引け、10円玉をもらい外からかけて感動した。

中学の時に窓に付ける簡易クーラーが付いて、

親父は免許ブームに乗り、カローラをトヨタの約束手形で買った。

 

たしかに少しずつ夢のモノが買えて、感動を味わえたのは違いない。

 

しかし最近、過去のオイルショックの事を調べているが、

わが青春時代ほぼ石油危機!とんでもない時代じゃねーか!

まぁ色んな謎が、オイルショックのせいだったみたい。

第1次石油危機は中東戦争・・・1973年~1974年(小・中学生)

第2次石油危機はイラン革命・・1979年~1982年(高校~社会人)


私より5歳〜若い今50歳代の人は、バブル景気だったと思うが、

ほんの数年、先に生まれたためにエライ違いだ!

 

でも第二次石油危機時代、高卒の就職需要は安定していたようで、

社会に出ることが出来たのは、幸せだったのだろうか。

 

1980年スタグフレーションまっただなか、国鉄東京第一運転所に入社。

そのまま同期20人は新幹線に乗せられて、全寮制の学園に入所した。

低月給でインフレ時代、全寮制だったから生き延びたのもある。

 

しかし高校はジーパンだったし、採用試験など何を着て行ったのだろう?

学園入所にはジャージ1着を持った。寝る時も運動もコレ1着・笑

幸い制服が貸与されたので、買物や居酒屋はそのまま行っちゃう。

 

寮は6人部屋だったが、光熱費や洗濯機、大浴場は無料だったし、

1食150円で休みの日も含め、3食を安く食べる事が出来たが、

月末の集金では、13,500円也・・・そんなお金ない!しばしば・笑

 

学園は浜松、名古屋、大阪だったが、困ったのは東京へ帰る交通費。

国鉄は職務証で何故か私鉄も乗れたのだけど特急は厳しかった。

 

東京から当時の運賃料金(往復)浜松15,400円、新大阪26,200円。

 

先日JR東日本が値上げして「便乗値上げだ!」と言ってゴメン。

この40年間JRは値上げ無しだってエライ!ってか、昔は高すぎ!

 

だから浜松から東海道線の普通列車で、東京まで帰った事も。

だが三島あたりで発狂レベル!5時間以上もかかったんだよ。

 

旅の友は音楽。ソニーのウォークマンを買った人は金持ちだ。

私は高校のバイトで買った、安いアイワのカセットボーイ。

友が持ってたTOTOのレコードをテープに吹き込んでもらい、

でもメタルテープが800円、単3アルカリ電池2本400円もした。

電池は浜松から東京間の5時間も持たず貧乏まっしぐら!

 

給料は18歳から基本給の約10%の年金と所得税を引かれ、

手取りは8万円~ここから食費を引かれたら?

う~ん、これがスタグフレーション時代の生活だったのか。

 

衣・住と光熱費が無料で、やっと生活が出来たレベルだ。

 

アホみたいな高物価!地元に帰る東京~新大阪の新幹線代は無い。

独り立ちしてからは便乗と称し制服で移動した・笑

当時の列車は数両おきに乗務員室がありそこに入って鎖錠!

 

しかし営業系の職員には当局よりの恐い組合員がいた。

始発駅は良いが中間駅で知らぬ職員が改札を通るのは不自然だ。

 

国会風に言えば、国鉄当局は自民党、俺ら組合員は中道とするが、

営業系の駅員と車掌の中には維新がいた。そんな感じ。

 

スタグフレーション時代、無いのはお金だけで、毎日は楽しかったよ。

24歳くらいで周囲は殆ど結婚したし、私も貯金ゼロだったけどね。

まぁ、1人じゃ生きていけない!って想いが強かった時代かな。

 

ひょっとしたら余分にお金なんか無いほうが、みんな幸せなのかもよ。

そして石油危機は解除、反動で1986年〜1989年バブル景気になった。

 

私が出来た事は実力ではなく社会情勢。激動の人生面白かったよ。