人生振り返れば、その時代に出来る事って決まっていた。
さて、昭和56~57年にかけての経済情勢は不況期だった。
ドル円為替相場は 278円、レギュラーガソリン 177円。
郵貯定額貯金金利 6%、銀行住宅ローン 9%。
高卒国家公務員初任給 10万円。
輸入物価が高騰し高金利、インフレで生活が苦しくて、
上野で中古バイクを買った際も、ローン金利は二桁%だ。
この数年前、私の初任給8万9千円だったので、少し給料が上がる。
話が新卒の頃に戻って、就職先の学校を卒業した際、
仲が良かった同期と配属先が別れました。
友は大きな「所」、私は小さな「班(詰所)」友を羨ましく思ったが、
友の職場は党員がいて政治色が強く、組合運動が盛んだった。
一方の私の班は、面倒な事はテキトーにあしらって、
ベテラン検査長6名、20代若手検査係15名といった穏やかな構成。
詰所はまるで親戚両親や兄弟のように、仲が良い職場だった。

俺らは「詰所」と呼んで、職員はみんな詰所が大好きだった。
仕事は屋外で検査、詰所は食事や仮眠に帰ってくる場所。
台所、風呂と洗濯機、2段ベッドの寝室もあったので、
詰所にいればお金はかからない。
また若手で筆頭の検査係(24歳)まるで従兄のような良い人で、
仕事もアウトドアの遊びも、私はこの人を頼った。
仕事は朝に終わったり、16時だったりまちまち。
でも帰っても家の住環境は悪く、暇でやる事もないから、
俺ら20代の独身検査係は、帰宅せずほぼ詰所で生活していた。
夕方は仕事が終わった詰所仲間で、駅前の安い居酒屋へ行く。
たいてい隣の席に、近隣のOLさんが飲んでいて仲良くなる。
「俺らの詰所ってさ、メシも作るんだぜ!」
ウチらの詰所生活の話って、けっこうウケて盛り上がった。
そのうち制服で歩いていると「詰所の人たち!」声がかかる。
でもカッコつけたい2つ上の先輩は「詰所」ってのが嫌で、
「詰所はダサいから、外では事務所って言え!」ってさ。
カッコ良い話なんて、居酒屋でしても楽しくないじゃん。
少し話を盛ったにせよ、奇想天外な話がウケた訳だから。
テキトーに飲んだところで詰所に帰って寝る生活。
まぁリタイアしても、詰所生活の家事が今も役に立っている。