早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

65歳を待たず早期リタイア後の日常生活・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

神田川

神田川を見るたび 口ずさんでしまう。

帰って ビールを飲みながら 聴いていると、

なぜか目頭が熱く 涙がこぼれてしまうのは

やはり 歳をとったという事でしょうか。

「貴方は もう忘れたかしら

赤い手ぬぐい マフラーにして、

二人で行った 横町の風呂屋

一緒に 出ようねって言ったのに

いつも 私が待たされた

洗い 髪が 芯まで冷えて

小さな 石鹸 カタカタ鳴った

貴方は 私の身体を抱いて

冷たいねって 言ったのよ

若かった あの頃 何も怖くなかった

ただ 貴方の優しさが怖かった」

(当時のレコードが家にあります)

「貴方は もう捨てたのかしら

二十四色の クレパス買って

貴方が 描いた私の似顔絵

うまく書いてねって言ったのに

いつも ちっとも似てないの

窓の下には 神田川 三畳一間の 小さな下宿

貴方は 私の指先みつめ

悲しいかいって 聞いたのよ

若かったあの頃 何も怖くなかった

ただ 貴方の優しさが怖かった」

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1973年に ヒットしたフォークソング

反戦、日米安保闘争、学生運動が盛んで

若者が 国、機動隊に突っ込んでいった時代

この歌詞 語り口と裏腹に 男性目線なのだそうです。

彼女の優しさに甘え 夢が果たせなくなる

作詞家さんが 明かしたそうです。

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ウチも小学生の頃は タオルを首にぶら下げ

銭湯に行ってまして、

ケースに固形石鹸を入れて歩いていけば

カタカタと音がする訳ですね。

当時シャンプーは あったのだろうか?

私は今も石鹸で 髪の毛も洗っちゃいますけど・笑

 

銭湯の帰りに ふざけてドブに落ち

ひどく叱られたのを 覚えていますが、

当時の大卒初任給 6万円、銭湯は60円

5人家族なら かなりな負担額となり、

せいぜい週に 3回ほどしか 入浴は出来ません。

変動相場制になったものの 300円/ドルでした。

 

中東戦争から 第一次オイルショック、

イラン革命で 第二次オイルショックという

1970年~1980年の 混沌とした時代、

 

3畳間に いつも友達が たくさん集まって、

プライバシーなんちゃらより、

みんなで 一緒にいる事で 安心感を得て

あの貧乏な 東京時代を知らない人には、

理解が難しいですかね「神田川」という歌詞。

高校から みんな長髪で、私なんか社会に出ても。

オシャレというより 床屋に行くお金が・・・笑

 

就職した頃も 不況インフレ物価高、安月給は続き、

国の機関ですら スト権がないにも関わらず、

スト権を得るために ストをやるという。

なんで 国と対立し そこまで熱かったといえば、

やはり 学生も社会人になっても 生活苦で

学生運動 労働運動は切実だったのだと。

 

かといって 就職難だったかと言えば、

都立商業高を出た女の子たちは、

軒並み銀行や 証券に就職していったし、

私も 国や地方には複数内定をもらったし、

もっとも ほぼ手作業 そろばんの時代でしたからね。

 

確かに「何も怖くなかった」将来不安も無かったのは

人の繋がりが 強固だったからでしょうか。

仲間が集まれば「団結、頑張ろう!」楽しかった。

ネットで当時を調べ  思い出すのが最近の楽しみです。