海が好きになったのは神津島に行ってから。
昭和50年代の非情報化時代にきれいな海を知ったのは、
友達が連れて行ってくれたから。
白い砂、クールバスクリンのような海を見て価値観が変わった。
当時海水浴はレジャーで、毎夏、親が連れて行ってくれたが
三浦海岸、江の島の海はゴミが浮いていて泳ぎたいとは思えなかった。
近年は海外も安く気軽に行ける時代だったが、
昭和50年代の為替レートは、1ドル300円~200円を乱高下、
円がとても安く、グアムサイパンどこ?思いすら浮かばない。
飛行機で沖縄、北海道旅行がせいぜい夢に見る地。
東京圏の20歳前後の若者が夏休みに行けるとしたら、
試験休みにバイトして、3日間 1万5千円予算の伊豆七島。
周囲の同級生も海好きが多く、真っ黒に日に焼けてたな。
島に行く東海汽船は若者で難民船のように混んだ。
甲板にゴザを敷いてみんなでトランプしたり楽しかった。
各グループのラジカセから流れる音楽でたいへんな騒ぎだったが、
乗客は20歳前後、同年代だから苦情もなかったのだろう。
その後も離島ブーム、伊豆七島にずいぶん遊びに行った。
羽伏浦でサーフィン、ボディボードも覚え、
東海大学潜水訓練センターでダイビングのCカードをもらって、
仲間でタンクを持って、大島、新島、式根、
神津、三宅、八丈島、一通り潜った。
写真は新島の前浜、東海汽船の桟橋から飛び込む我々。
桟橋から前浜ビーチまで泳いだ先輩たちと私。
みんな、引き締まった良い身体していたなぁ。
その後、円安日本は昭和61年に1ドル120円、平成7年には 70円台の円高に。
行ける海がグアム、サイパン、パラオ、世界に広がっていった。
第2期ダイビング マイブームは円高の恩恵を受けて、
まさに時代に乗ったというかラッキーだったんだ。
今回のコロナ騒動で人の動きが昭和50年代以前に戻ったようです。
終息を願い、また旅の再出発できる日がきますように。
それでは!しばらく思い出話が続きます。