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昭和一桁生れ「父の日記・私の歩んだ道⑤」過酷な臨時雇用員

昭和32年 (1957年)・・・25歳

映画150円、たばこホープ40円。

ソ連、人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。

 

1月、年頭の願いは、一日も早く仕事が本採用になり、

人並みに結婚して、家庭を持ちたい。

 

世の中、景気が上向いてきて 神武景気と言われた。

レジャーの余裕も出来、スキー客も最高になったという。

 

もっとも私には縁がなく、貧乏暮らしが続いており、

苦労をするために、明治大学に入ったようなものだ。

 

2月、賃金予算の関係で、京橋郵便局に異動しバイト。

 

京橋郵便局は 普通局で規模が大きく職員が500人位。

私は 窓口を担当させてもらう事になった。

有楽町駅から徒歩20分位、とても不便な場所にあった。

 

ここで 当時の郵便局の組織について 触れておく。

普通局は 殆どが国有で、郵便の集配と貯金、

保険の集金、 勧誘を行う規模の大きな局である。

 

町のあちこちにある 小さな局は、特定郵便局という。

 

郵便の窓口は、朝8時から夜20時まで、ピークは17時頃。

バイトは、13時20分からの出勤が多かった。

 

一日の勤務時間は8時間だが、土曜日も日曜も出勤で、

職員の殆どが、バイトか 臨時雇用職員。

 

 4月、末っ子の弟が、明治大学に入学した。

高卒の長男を除き、兄弟3人が同じ大学となった。

 

当時の記録を見ると、入学金4万円。寄付金2万円。

それで休講ばかりでは、勉強したい人にとって、

たまったものではない。

実家の負担は、かなりのものだったろう。

 

なにしろ 日給は280円 初任給は 8000円の時代だ。

 

ちなみに当時の物価は、手紙10円、はがき5円、

週刊誌30円、風呂15円、ラーメン35円、映画100円

 

神武景気と言われながら、電力不足で町のネオンは消え、

4月9日から 節電の為、自宅待機を言い渡される。

 

そして5月1日から 再び京橋のバイトへ。

数寄屋橋の壕が埋められ、その上に首都高が開通した。

道路下に西銀座デパート、数寄屋橋ショッピッングセンターが開店。

 

8月4日 最近は毎日 風呂に入る事が出来て本当に助かる。

 

当時は国鉄労働組合をはじめ、全逓など官公労といわれる

労働組合の力が強く、年中闘争をしていた。

全逓は11~12月の年末斗争は凄まじく 超過勤務を拒否。

仕事は停滞し、しわ寄せは全て我々、臨時雇用にくる。

 

窓口事務は休憩も取れず、連日、朝8時から20時まで、

労働基準法は全く無視され、機械のように酷使された。

長野を出て大学に行ってから 実に長い長い道だった。

 

昭和33年(1958年)・・・26歳

東京タワー完成333m、フラフープ流行

米10キロ870円、食パン1斤28円、日本酒2級1升507円

 

3月 今のバイトの勤務が馴染めない。

再びレントゲンを撮るが 当然 結核の影が出てい て、

昨年は就業可だったが 今回は駄目 という。

絶望で歩く気力も無くなった。

何とか人並みの生活をしたいため、差別のある勤務にも耐え

運命に見放されてしまっ た。急に疲れを覚え、何もする気になれない。

 

弟の卒業まであと1年、俺はどうしたら良いのだろう。

母が知ったら どれ程心配することだろう。

何を目標にして努力し生きていけばよいのだろうか。

苦労して大学は卒業したが、これ以上遅れたら俺の将来は。

 

3月 心配ごとが多く 結核の事より神経がいかれてしまった。

三ヶ月の薬による治療をする事になった。

 

7月 レントゲンの結果、就業可能でバイト先に採用された。

その後、65歳まで健康診断や人間ドックで、

影はあっても、治癒型の結核だったという。

現在まで 何事もなく過ごして来たのだから、

当時の担当医の判断で、大切な4年を棒に振ってしまった。

 

昭和34年(1959年)・・・27歳

4月皇太子、正田美智子さま、ご成婚

岩戸景気、フジテレビ開局し、本格的なテレビ時代となる。

月へ旅行できる時代が来ても、地球上の平和がなければ。

米ソの人工衛星 打ち上げ競争も弾道兵器として、

戦争の道につながる恐れがある。

国家形態が違い人間に闘争本能が存在する以上、

国と国との争い、国の中での民族対立は絶えることはない。

 

だからと言って、少数の利益、欲望のために

多くの人たちが犠牲になってはならない。

我が国においても、両陣営の対立に巻き込まれ、

自衛力の強化、安保条約の改定、自由主義国家の一員という名のもと

対共産圏への防波堤の一環を担わされるように思う。

 

一方、消費ブームとか、国民所得の順調な成長と言われるが、

先進諸国に比べ、まだまだ日本の生活水準は低く、

低所得の人がかなりいる。

大切な税金を、国民の福祉の向上という、

大きな道に沿って、一貫した政策を行う政府であって欲しい。

 

3月、弟が明大を卒業し就職も決まった。

どこで何をしているのか、全く帰ってこない。

 

4月10日 皇太子のご成婚、テレビ中継とあって、

受像器が爆発的に売れ、一気に普及した。

 

7月 3年6ヶ月お世話になった、岩倉さんが家を売って、

品川区 戸越銀座へ移転、野口さんの新しいアパートへ引っ越し。

 

標準的なアパートで、4畳半でトイレは共用だが、

小さい台所と広い庭があり、住環境としては申し分なかった。

 

忙しい毎日、職場の銀座郵便局は暑く汗が噴き出す。

仕事中は ウチワは使ってはならない。

銀座のど真ん中で、今では想像も出来ないだろう。

 

10月 三ヶ月も前から計画していた磐梯山。

朝起きたら秋晴れで、20時に約束した上野駅へ行く。

メンバーは、職場の男女10名。

旅行シーズン列車は満員で 23時35分発の会津若松行きに乗る。

列車の中は 寿司詰めで蒸し暑い。

裏磐梯から五色沼、毘沙門沼、山頂へ。

しかし容赦ない雨が体を濡らし、女性たちは疲れを見せた。

駅前の食堂で、スト ーブの火を借りて 濡れた衣類を乾かす。

帰りは臨時列車で、一輌に我々だけ貸切状態だった。

・・・つづく