早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

65歳を待たず早期リタイア後の日常生活・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

昭和一桁生れ「父の日記・私の歩んだ道⑥」結婚へ

昭和35年(1960年)・・・28歳

日米新安保条約調印、安保阻止デモ国会突入、

ラーメン・コーヒーなどインスタント食品発売、

三種の神器時代 (冷蔵庫・自動車・カラーテレビ)

理髪142円、たばこ(ハイライト)35円

 

(年頭所感) 昨年は空前の繁栄、岩戸景気だった。

ロケットが月の裏側を廻ってその映像を送ってくれた。

世界の風潮は、東西両巨頭会談を機に平和に向かう。

しかし、我が国は安保の改定、ミサイルの配備等、

知らぬ間に、アジアで最強戦力を持つまでになった。

 

俺も 今年は将来の設計をたてなければ。

 

昨年7月 職場の組合で丹沢へキャンプに行った。

その時に知り合った仲間達とまた山へ行った。

 

その後、時折会うようになった 女性がいる。

 

友達や後輩は 次々と結婚しており、

彼らは公団や社宅の 2Kに住んでいる。

 

俺は職は得たものの、家庭を持つ程の収入はなく、

四畳半の一間に、兄弟三人の共同生活。

これでは結婚どころではない。

 

2月 東京駅で 例の女性と待ち合わせ 静岡の日本平へ。

女性との 日帰り二人旅は始めてだが とても楽しかった。

 

5月 日本橋三越で 彼女と会うために出掛ける。

雨のなか、安保反対のデモ隊が 延々と続いている、

三百円の日当の私は、それどころではない。

いつものように お茶の水まで歩く。

 

この日は、俺にとっては大仕事だった。

彼女に結婚の申込をして了承された。

 

終戦後、長野からきて 苦労の連続だったが、

一生この女性と、やっていくことを決意した。

 

彼女は、昭和八年、東京四谷で生まれた。

両親は既に亡く、兄妹 四人のうち、

長兄、次兄は フィリピンで戦死していた。

 

現在は、八歳違いの三兄 の家族と住んでおり、

彼女は人形町で勤めている。

 

6月 彼女の家を訪問する。家の中での彼女は家庭的だ。

兄夫婦の子供が三人いて賑やかだ。ご馳走になり帰宅。

 

9月 彼女と結納を取り交わした。

 

仲人は上司でもある 兵寿兄夫妻にお願いした。

 

昭和36年(1961年)・・・29歳

テレビ14型 5万円、理髪200円

(年頭所感) いよいよ今年は新生活へ向かってスタートの年。

良い家庭をつくる。公共住宅が当たってくれたらと願う。

1月1日 彼女と大晦日、二人で除夜の鐘を聞き新年を迎えた。