幼児の頃、法定伝染病に感染し、都立病院に隔離された経験。
1980年代マニラからの航空機内でコレラ発生し自らも食中毒症状。
当時、不安を煽るテレビのワイドショーは無かったのが幸い?!
淡々とシレっと事は過ぎた。その後、感染症が身近にあったのは・・
2003年・SARS(サーズ)
日本では騒ぎになっていなかったが、マレーシアのボルネオ島へ、
SARSの影響を受ける国は中国、香港、台湾、ベトナム、カナダ、シンガポール
この国には行かないように!とマレーシアは警戒していた。
その後、6年後の2009年にもマレーシアのボルネオ島へ。
2009年・新型インフルエンザ H1N1
成田からマレーシア航空機は、キナバル山を横目にコタキナバルへ。
コタキナバルは首都クアラルンプールから海を隔てた遠方、
ボルネオ島の田舎街である。
日本ではあまり騒ぎになっていなかったが、マレーシアのコタキナバルに着いた時は、
ボーディングブリッジに防護服をきた医療スタッフがいて
検温と消毒を行っていた。こちら日本とは裏腹に、
成田からの旅客はヤバいとみていたのだろう。
正直、私は1980年代、フィリピン航空機内のコレラ騒動以来、
長い間、感染症平和ボケしていたから、マレーシアの対応には関心した。
観光庁のインバウンド客の推移のグラフを見れば、
訪日外国人の旅行者数は500万人程度で、
それほどマスクもしておらず、手洗いもそこそこ。
今ほど移動がないから、これほどの対策で感染は終息していた訳だ。
その後、アベノミクスのインバウンドは大成功し、3千万人超え。
地方の観光地も賑わい、景気も良かったが、
新型コロナウイルスは、ぁっと言う間に世界に広がった。
それだけ地球上の人が、今まで経験がないほど活発に移動し、
ウチも近所の感覚で中国や台湾旅行に行っていたから。
今回コロナ騒動が収まっても、インバウンドで世界の観光客を呼ぶなら、
数年おきに、今回の騒動は起こり、あっと言う間に広がるだろう。
終息した後で良いから、ワクチン先進国、接種が速かった国を、
日本は見習う必要があるだろうな。
という事で、しばらく、ボルネオ島のダイビング旅の話を。