田中邦衛さんがお亡くなりに。
私にとって北海道は、子供の頃からユートピアだが、
何度も遊びに行って、北の大地が大好きになって、
「北の国から」ドラマの影響は大きいな。
思えば北海道へ初めて行ったのは、
1970年代小学生の頃、叔父が札幌に転勤し、
夏休みにお祖母ちゃんが、会いに行くというので、
一緒に連れて行ってもらった。
石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」じゃないが、
上野発の夜行列車は、青森に早朝に着。
青函連絡船に乗換えて函館には朝、叔父が車で迎えに来てくれ、
当時、東京で車を持っている家は、周囲にいなかったから、
叔父が凄い人に見えた(商用車のサニーだったけど)
函館から札幌まで、大自然のドライブは衝撃だった。
この頃、飛行機はまだ高額で、我が家は乗れなかったと思う。
でも、夜行列車+連絡船で北海道に行った体験は、
遠い北の大地を実感できて良かったなぁと思う。
(昔の夜行列車と連絡船の時刻表)
高校からバイクに乗って、北海道をオートバイで走りたい!
進学やら就職で夢は叶わず、北海道は夢の遠い地、ユートピア。
2回目に夢の北の大地に行けたのは社会人になって、
田中邦衛さんの「北の国から」1981年~北海道に行きたい熱が!
それから四季を問わず北海道にはずいぶん行った。
(新富良野プリンスホテル内にあった北の国から)
今も富良野に行くと、黒板ファミリーが住んでる気に、
子役の、純君も蛍ちゃんも、もう50歳だっていうから。
田中邦衛さん、ご冥福をお祈りします。
最近は最初に行った頃の、北海道の軌跡とかも探っているが、それも楽しい。
(青森港 函館丸)
石川さゆりさんの、津軽海峡冬景色の曲が流れていました。
(函館港 摩周丸)
摩周丸は記念館になっていて、戦中戦後の過酷な運行記録も。
空襲時も北海道と本州を結ぶ大動脈だったんですね。
函館湾には、多くの連絡船が沈んでいる事も知りました。
昭和、青函連絡船で遠かった夢の大地、成田空港から新千歳まで、数千円で飛ぶLCCの時代になって、
今では1泊、2泊でルスツだニセコだ!とスキーにも行ける。
すごく近くなっちゃって、まさに夢が現実になった。時代に感謝。