御蔵島&三宅島の旅 3話目、漁船で三宅島に上陸です。
三宅島は過去 20歳位の頃、潜水訓練センターの先輩と来てまして、
島の周囲は ダイビングポイントが豊富なので、
当時はセルフでダイビングを楽しむ ダイバーで賑わっていました。
その後 三宅島は1983年と2000年の2回 雄山が噴火
4年5か月に及ぶ 全島民 避難という壮絶な歴史があります。
この話は 一部地域を除いて 避難指示が解除された 後の事 です。
レンタカーで阿古地区 中学校跡へ、建物は溶岩で埋まっています。
昭和58年の噴火で 一瞬にして溶岩に埋まった400戸の集落。
噴火は 私が最初に 三宅に潜りに来た 直後くらいの出来事です。
阿古温泉郷は 溶岩で埋まる前は観光と漁業で賑やかでした。
当時 潜った「学校下」三宅島は自由に潜れる ダイビングポイントが豊富でした。
立入禁止場所は表示があったが、あまり明確ではなかった。
まだ ガスマスクの携行が義務、気配がある場所は車の窓は閉めた。
牧場公園跡に来てみたら、子供の頃に読んだ漫画
楳図かずおさんの「漂流教室」思い出した。
「学校が 何かの衝撃で絶滅した 未来にタイムスリップしてしまう」
漂流教室の世界があった・・・
漂流教室の世界があった・・・
火山性ガス、酸性雨で木は枯れて、遠くにうっすら御蔵島が見える。
山から下りて港に来てみたら、東海汽船かめりあ丸が接岸。
今朝は海況が悪く、御蔵島 民宿宿泊者10名で 漁船で三宅に来た。
この日、御蔵島便は終日欠航だった(日に2便)
漁船でご一緒した人は、この船で東京港・竹芝桟橋へ、ウチは1泊。
東海汽船かめりあ丸を見送って、坪田火山ガス高濃度地区へ。
当時、三宅島では条例に基づき「立入禁止区域」「危険区域」
「高濃度地区」があり、三池港周辺や三池の町は、
火山性ガスの「高濃度地域」 で人が住めない 集落になっていた。
三池地域には悲痛な叫び声があった。
この声は 三宅島に来るまで私は知らなかった。ごめんなさい。
民宿に1泊して、噴火当時の様子 を聞くことが出来ました、
2000年8月末 全島避難になった火砕流が発生し 山頂から海まで到達。
島民を乗せて 決死の脱出を試みる 東海汽船かめりあ丸。
公共交通機関の使命感といいましょうか、
身体をはって仕事をしている人が、いつもいるんだよね。
想像すれば、胸が熱くなります。
今日はここまでで、御蔵島&三宅島の旅、あと1話を、
読んで下さった方、ありがとうございます。つづく・・・