2003年頃 新幹線の 品川駅が出来て 高輪口と港南口をつなぐ
無料の自由通路が完成し 行き来が便利になりました。
コロナが流行った頃 連日ワイドショーで放送された通路です。
「東京は緊急事態なのに 通勤けしからん!」思われたでしょう。
通勤者に限らず 品川駅唯一の とても長~い 生活通路でして、
望遠で撮れば 過密に映る ある意味 格好の撮影地だったと思います。
前の記事 首曲がりトンネル を書きましたが
かつて 品川駅 山の手「高輪」と ダウンタウン「港南口」間は、
各ホームと 高輪方は 在来線の機関区 電車区 客車区、
大崎方は 新幹線の東京第一運転所という検修留置線 があり、
広大な鉄道線路で 完全に分断されていました。
今、港南の面影を残すものは 北品川の都営住宅しかないですね。
あそこまで大井町方面へ 新幹線の車両基地線路が伸びていました。
高輪口の高台に建つ マンション ペアシティルネッサンス。
21歳の山口百恵さんが 新婚時代に住み始めたの覚えてますが、
築40年を超え 1LDKでも 1億円で売りに出てますね・笑
そちらと裏腹に 我々 昭和の労働者は 品川で電車を降りると
湿っぽい 300m以上はある 地下通路を 港南口の改札へ歩きます。
駅舎は木造で 三角屋根の現・北鎌倉駅のような形でしたね。
駅前にはパチンコ屋、ラーメン屋、国鉄の物資部
安いホッピーを飲ませる 焼き鳥の煙が充満した 居酒屋があった。
国鉄職員、港湾倉庫労働者などブルーカラー(当時の私を含め)
今もある「と場」の職員 で賑わっていた思い出です。
立派な 完全屋内の施設になりましたが 東京都食肉市場センター。
私が港南口にいたころは 朝になると 豚や牛の声が聞こえ
カラスが骨を道路に落として飛んで行く ある意味サツバツとした。
そんな 港南口に ひときわ上質な JALの高層女子寮がありました。
堀ちえみさんの「スチュワーデス物語」が流行った頃ですね。
高卒で 日本航空に入った松本千秋さんが
立派な乗務員になるまで 教習話を描いたドラマです。
教官に「お前はグズで ドジで ノロマな亀だな!」散々言われて、
今、部下にそんな事を言おうなら「パワハラ」上司はクビ・笑
当時 寮の前は 送迎のタクシーがズラリと停まり、
鶴のマークのお姉さん(ドラマで石立鉄男さんの口癖)達は
キナ臭い 品川駅港南口から 電車に乗る事は無かったのだろうけど。
今もある 港南口の「と場」知らない方が多いと思いますが、
日本一の規模で 美味しい肉を提供する施設なんですね。
たまに東京都職員(地方公務員)として募集してるようですが、
昔の国鉄職員募集以上に 条件は心身とも強靭な方のようです。
聞けば 働いている方は 誹謗中傷を受ける事もあるという。
明るい食卓を支える 厳しい裏方を背負った 仕事と思いますけど。
私が子供の頃の肉は硬くて 特に分離された脂身は嫌いでした。
今も それほど肉は好きではなく まぁ 魚にも言える事なんですけど
最近よく耳にする「代替肉」大豆を使った 植物性お肉風ってのを
あれば そちらに移行したいかな?なんて思ったりもします。