鉄道職場メシなど 昭和の仕事の記事を、
多くの方に見て頂いたので、しばらく昔話をします。
さて、国鉄職員は職務乗車証(通称パス)を貸与された。
仕事でミスすると「パス置いて帰れ!」怒鳴られた。
意味は「やめちまえ!」であり、これが昭和の職場だ。
パスの区間は一律でなく 管理職クラスは「国鉄全線」
うちら若僧は 担当の「東京南鉄道管理局管内」限定、
ざっくり東海道線の 東京~熱海間であった。
まだ入りたての頃、このパスの効力を先輩に教わり
地元の悪友たちを誘い「渋谷いこうぜ!」と引き連れた。
五反田の改札で「こいつら5人もお願いします」と言った。
いつも不愛想な駅員が「ご苦労さん」と笑顔で返してくれ、
「すげ~!お前、まるで国会議員だな!」
悪友たちの ビックリ仰天した姿に 大笑いした・笑
この 職務乗車証、実際は国鉄どころか、
私鉄各線、バス、観光ロープウェイ、
秋葉原にあった鉄道博物館など、ほぼフリーであった。
先輩の国鉄ブログ(知らない人)を熟読したら、
国鉄労働組合は私鉄総連と 相互乗車協定を締結、
(組合どうしの決め事ってのが凄い)
どうりで私鉄の駅員も 俺らに愛想が良かった訳だ。
私鉄で通勤しても 私鉄の定期代は支給されず、
当局も黙認していた 相互協定だったのだろうが、
むしろ敵は 同胞にひそんでおり、
国労や動労とは違う、国鉄当局寄りの組合があって、
「それで通れると思っているのか!」
一般利用者の切符を切りながら どなる駅員もいたので、
俺らはまだしも、私鉄職員が 国鉄に乗れたか定かでなく、
口コミで「あの駅はヤバい」と教わった。
ゆるい昭和のようだが、職務乗車証は職員の「命」
「パス置いて帰れ!」怒鳴られたくらい大切なもの。
ある夜、先輩と繁華街で飲んで ケンカに巻き込まれ、
闘っているウチに 職務乗車証と財布を盗まれて、
あとで聞いた話なのだが、翌日、上司は休みをとって、
一日中 俺らのパスを 街で探してくれていたそうだ。
俺らに叱ることなく、これが昭和の上司の姿、
心の底から反省し、今も貴重品は身体に結着 これ以来だ。
今あれば たいへん ありがたい職務乗車証だが、
当時はバイクや車で あまり使わなかったんだな。