函館2020夏2話目 泊まった「JRイン函館」から歩いてすぐ
青函連絡船記念館 摩周丸
昭和の時代、北海道と本州を繋いだ 津軽海峡の大動脈、
国鉄及びJR北海道で 航行されていた船が 当時のまま残されています。
船内には線路があり 本州を走って来た貨客車を青森で積んで、
函館に接岸したら 北海道の線路に接続し 走って行ける優れもの。
上り便は 昭和の主力エネルギー 夕張炭鉱から貨車を載せて
本州に輸送していたと思います。
私 東京23区の小学校でしたが 石炭ストーブの時代でした。
マップを見ると 青函連絡船と北海道の線路が
直結していたのが 想像できると思います。
船の「TOKYO」が消されていますが、もともと摩周丸は国鉄の船で、
国鉄本社は 東京丸の内にあったため 東京船籍でした。
その後 JRになり拠点が北海道に 函館船籍に変わったそうです。
ブリッジ操舵室 操縦してみたいですが、
一通りの乗り物を運転する機会に恵まれましたが、
大型客船と牽引トレーラーだけは、思うように動かない気がします。
自由に操作する事ができました。
レーダーです
操舵室からみた風景、函館山が見えます
国際信号旗もリアルに積載してありますね。
ダイバーにお馴染みの潜水旗、船にこの旗を掲げた時は
「潜水士が潜って作業中なので ゆっくり避けてください」という意味。
通信指令室
懐かしい!国鉄直通電話。取っ手を回すとジリジリとベルがなり、
鳴ったベルの回数で担当が出る、初期的ながら緊急時は早く
同時通話も出来る電話だと思います。
よろしければ 撮ってきた動画をご覧ください(字幕 解説アリ)
青函連絡船 台風との闘い
昭和29年の台風15号は 日本海を958hPa 速い速度で北海道へ、
頻発する停電で 連絡船への可動橋が作動しなかったとか、
思ったように出航できず、夕方は晴れ間が出て風が収まり
乗組員は 日本の大動脈を動かそうと運行再開。
台風の目を 過ぎたと思って出航した洞爺丸を 暴風雨が襲う。
5隻の連絡船(青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸、洞爺丸)は
天候急変に伴い 穏やかな函館湾に退避し錨を降ろし運行中止。
当時は 今ほど気象情報の精度が高くなく、
乗務員は最後まで台風と戦い 力尽きたと言います。
私、今まで「航行したのは 洞爺丸1隻」と思っていましたが・・・
5隻もの青函連絡船が 転覆沈没 したのですよ。驚きました。
洞爺丸に関しては「七重浜」へ座礁を決断し転覆沈没。
ほか4隻は 投錨地点から流されたようで 沈没位置は推定。
被災者千人以上という国鉄・青函連絡船最悪の海難事故。
泳ぎついた人もいたという 七重浜に行って 手を合わせてきました。
向こうに函館山が見えます。
大型船を転覆させるほど 荒れたのが信じられない穏やかな海でした。
ラッキーピエロ
ランチは北海道の函館市で展開する 人気のハンバーガーショップ。
店ごとにテーマが違い 港北大前店は「プレスリー」でした。
函館に行かねば食せない!行ったら食べなきゃ!となる訳ですが、
関西じゃなければ買えない「蓬莱551・豚まん」と似てますかね。
千円でお釣りがたくさん、満腹美味しい!「ラッキーピエロ」
店内の様子とハンバーグの動画も撮ってきました。
立待岬
森昌子さんのヒット曲にもなった岬に行ってみました。
函館空港方面の景色を眺め感傷に浸る。
前回もお世話になった日帰り温泉(湯元漁火館)に入って東京へ帰ります。
2泊3日 函館、今回も良い旅となりました。
次回は一人で摩周丸に籠って、当時の資料を勉強しようと思います。