信越線特急 あさま181系 長野行き(1970年代 上野駅にて)
長いボンネットがカッコイイ、日本国有鉄道 全盛期。
まだサラリーマン都民は 車を買えなかった時代です。
おばあちゃん一家が長野へ引越、信州に家を建ててから、
夏休みは何度か遊びに行って、しいて言えば心の故郷は長野。
当時 あさま号の指定席を取るのは 至難だったと 父から聞いた。
発売日に 早朝から駅に並んで 駅員がマルス端末を叩く。
「もう無いよ。売り切れ!」(当時はこんな対応・笑)
「発売と同時に?ふざけるな!」さすがの父も切れたという。
そんで 自由席の急行で長野へ行ったんですかね・笑
母は30代、おばあちゃんは50代、最期までイメージは変わらんかったが、
昔の写真を見ると 私を含め?最近の人は若いよな・笑
急行は窓が開くので、横川駅に到着すると窓越しに 釜飯を買う。
ホームでは「峠の釜めし屋おぎのや」さんが、
重たい釜飯を持って 売っては走る・笑
一方、特急は窓が開かないから、客がホームの売店へ猛ダッシュ!
横川駅で釜飯を買うなら、特急より急行のがオススメ・笑
下の写真は10年位前に買った釜飯ですが、当時と変わらず重たい・笑
当時の長野駅は写真の通り。善光寺と間違える人がいたという。
長野~直江津間が電化されたようですね。
数年前に訪れた 思い出の横川「碓井峠鉄道文化むら」
なんで横川駅のホームで、峠の釜飯が飛ぶように売れたか?
峠越えの為に 準備する停車時間があったから。
電車は登れない急勾配ゆえ 電気機関車を連結する
横川から軽井沢間の11.2kmは 1km毎に67mも登る急勾配の難所。
今の気密性が高い新幹線電車でさえ「耳がピキ!」となるから、
ハイランド信州への道は険しかった訳です。
旧・丸山変電所が、急勾配の碓氷峠を超える鍵。
明治40年代、電気機関車が峠を登る際に重要な施設。
AC6600Vを受電し 変流器で直流に変換し 312個の蓄電池に貯めて、
機関車が来ると バッテリーからDC600Vを供給したという。
私が知ってる あさま号はDC1500Vだっだから 未体験の設備ですが、
充放電中はガスが発生する為、通気が考えられてるようです。
現地にあった 丸山変電所が現役の写真ですが、
電車線は無く 機関車へのき電は 第三軌条方式だったようです。
丸山変電所の変流器室ですが、素晴らしい建築技術。
バッテリー室でしょうか。充放電で大量にガスが発生するので、
換気が良い窓が大きい作りになっています。
明治時代、当時の先輩方 日本のマンパワーには驚きます。
鉄道文化村 EF63体験を重ねたら 本務機関士の運転まで出来るようです。
連結開放、単機運転、重連推進運転とか、マジ?
元、機関士・運転士のワタシも 最初からやるんだろな。
ダイビングならイントラでも、チェックダイブをする海があるように、
学歴とか資格、経歴は関係がなく、今の実力が重要なんですよね。