早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

争いごとはやめようぜ。即時停戦!「太平洋戦争の爪痕」

正月、叔父(三男)の家に集まる習慣があった。

子の頃 疎開中に焼野原となり身寄りがない母は、

叔父家族と暮らしていたので里帰りのようなもの。

 

叔父は満州から帰った人(大変な苦労人)で、

叔母は空襲警報で防空壕に逃げ込んだ世代。

(私が小学生の頃まで東京に防空壕跡があった)

「東京大空襲の時は隅田川に飛び込んだ人が多数」と、

変な話、あっけらかんと 語っていたのが印象的だった。

空襲警報も頻繁だと慣れちゃうような事も言ってた。

資産もなく 身体一つで逃げていたというから、

豊かで物にあふれた今とは感覚が違うのかも。

 

そういや隣国からミサイルが発射された数年前、

それなり責任ある立場で緊張感をもって仕事をしたが、

今や誰も気にしない「慣れ」新型コロナもそうだけどね。

叔父(長男と次男)はゼロ戦に乗って

撃墜されたと聞いていたが、形見は菊の紋が入った金の盃だ。

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叔父さん2名はどこで戦死したのか?知らなかった。

私はダイバーでしたので、太平洋戦争の激戦地

ミクロネシアの海で日本軍の沈船やゼロ戦にも

潜ってみたんだけどね。

(サイパンの海に沈む日本の戦闘機)

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(パラオの海に沈む石廊沈船)

この頃は遺骨が船内にまだありました。

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(グアム アプラ港に沈む東海丸)

透明度が良い時に沈没船内の動画が撮れました。

www.youtube.com

ミクロネシアの海は、戦争の爪痕だらけ。

両親が他界した際に集めた戸籍で「ルソン島」である事が解った。

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「戦死」と書かれていた。

正直しっかり戸籍に記載されていたのにびっくり。

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長男は27歳、次男は23歳、昭和20年5月 6月に戦死。

あともう少ししたら 終戦だったのにね。

ほんと戦争なんて命も財産も あっけなく消える。

世界中の人たち、仲良くやろうよ。

今、世界大戦となれば、昭和を上回る悲劇となろう。

コロナがおさまったらトラック諸島(チューク)の沈船、

フィリピンのルソン島にも行かないと。