正月、叔父(三男)の家に集まる習慣があった。
子の頃 疎開中に焼野原となり身寄りがない母は、
叔父家族と暮らしていたので里帰りのようなもの。
叔父は満州から帰った人(大変な苦労人)で、
叔母は空襲警報で防空壕に逃げ込んだ世代。
(私が小学生の頃まで東京に防空壕跡があった)
「東京大空襲の時は隅田川に飛び込んだ人が多数」と、
変な話、あっけらかんと 語っていたのが印象的だった。
空襲警報も頻繁だと慣れちゃうような事も言ってた。
資産もなく 身体一つで逃げていたというから、
豊かで物にあふれた今とは感覚が違うのかも。
そういや隣国からミサイルが発射された数年前、
それなり責任ある立場で緊張感をもって仕事をしたが、
今や誰も気にしない「慣れ」新型コロナもそうだけどね。
叔父(長男と次男)はゼロ戦に乗って
撃墜されたと聞いていたが、形見は菊の紋が入った金の盃だ。
叔父さん2名はどこで戦死したのか?知らなかった。
私はダイバーでしたので、太平洋戦争の激戦地
ミクロネシアの海で日本軍の沈船やゼロ戦にも
潜ってみたんだけどね。
(サイパンの海に沈む日本の戦闘機)
(パラオの海に沈む石廊沈船)
この頃は遺骨が船内にまだありました。
(グアム アプラ港に沈む東海丸)
透明度が良い時に沈没船内の動画が撮れました。
ミクロネシアの海は、戦争の爪痕だらけ。
両親が他界した際に集めた戸籍で「ルソン島」である事が解った。
「戦死」と書かれていた。
正直しっかり戸籍に記載されていたのにびっくり。
長男は27歳、次男は23歳、昭和20年5月 6月に戦死。
あともう少ししたら 終戦だったのにね。
ほんと戦争なんて命も財産も あっけなく消える。
世界中の人たち、仲良くやろうよ。
今、世界大戦となれば、昭和を上回る悲劇となろう。
コロナがおさまったらトラック諸島(チューク)の沈船、
フィリピンのルソン島にも行かないと。