今週のお題「人生最大のピンチ」戦時中は毎日だろう。
あと2ヶ月 早く戦争が終わっていれば、
母方の叔父 2名は 撃墜されなかったかも 知れない。
もうすぐ 終戦記念日、形見の金の盃を磨いて、
戦死した 南西方向の空に 手を合わせようか。
そのうち 3男の叔父は満州(中国)から帰国出来た。
酒を飲んで 笑顔で語っていたのが印象的で、
「生きて帰ったのが 申し訳なく 公園で 寝起きしていた」
と言うのも 父が残した日記を読んでみれば、
当時の教育が「国の為に死ぬ」「小学校を出れば少年飛行兵」
学校でそう教わっていたのだな。
もっとも叔父(3男)が生きていなければ、
まだ 10歳だった 母の拠り所はなく(既に両親も死亡)
私も 生まれなかったかも知れない。
それぞれ「人生最大のピンチ」のオンパレードだ。
そして未だ 遺骨はフィリピンの山中。
いまいち解らなかったのが、兄弟の歳の差ですが、
当時は10~15歳も離れていて、それゆえ親が死んでも、
兄が妹を育てるみたいな、母と満州帰りの叔父の関係。
叔父が死んだのは パラオ?サイパン?はっきり知らず、
思いを寄せながら 激戦地の海に潜っていたのだが、
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フィリピンだった事が判明したのは、戸籍に記載があった。
みんな 修羅場を生き抜いた訳だが 親戚の集まりでは、
あっけらかんとして、戦死、東京大空襲、満洲から引き上げ、
必要以上に話が聞けなかったのは、口にしたくもなかったのか。
不満は無きにしも非ずとも、豊かで幸せな時代に感謝。
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