早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

昭和の全寮制学園生活・当番の夜は電話の取次とラブレターの仕分け

ハローワークに寄ったら 警察官の募集があった。

 

警察に採用されると 半年から10か月、

相部屋全寮制の 警察学校に入校は 今も変わらず、

 

プライバシーは?厳しそうだな?

最近の若い子は、こういうの苦手 だろうな。    

私は 昭和50年代の鉄道学園だったが 採用時 3ヶ月

都度、長いと半年の間、全寮制の学園に入った。

 

東京の国分寺にあった 中央鉄道学園が中核だが、

課程により私は 三島・浜松・名古屋・大阪の付属学園へ、 

 

寮は 4~6人相部屋で 週末以外は 帰宅や外泊はできない。

(44年前 卒業記念でもらった湯のみ)    

月2回の土曜休が、帰宅のチャンスであるが、

浜松の寮にいた時は 金も無いが 新幹線代も支給が無く

 

東海道線の 普通列車で沼津で乗換、

東京まで 5時間かけての 帰宅はとても疲れたから、

 

高校の頃の彼女とは別れ、地元の悪友達とも疎遠になった。

 

職務乗車証(通称パス)があるとはいえ 特急券は別

たしか、入退所時しか 有効パスはもらえなかった。

もっとも帰っても 親の家は2DKの団地、

私の居場所は既になく 巣立ちの時だ。

worldwidetraveler.hateblo.jp    

 

寮は 銭湯みたいな大風呂があり 洗濯はやり放題。

広間に1台だけテレビがあり、図書館も、居酒屋もあった。

 

食事は寮の食堂で三食 提供された。

毎朝、生野菜がど~ん!マヨネーズをたっぷりかける幸せ。

 

寮費は無料で、最低限の基本給だけをもらい勉強し、

学生生活をエンジョイ!ってのはないが、

大学課程というのは 4年かからず最速ってのは全寮制ゆえ。 

 

制服が支給されたから、あと下着とジャージがあればOK。

 

家のように お金がなくとも 勉強させてもらい

独り立ち出来た点は ありがたい。  

 

寮生の 夜の当番としちゃ 電話の取次ぎが大きな仕事。

 

寮監室に2回線ある 電話は毎晩鳴りやまない。

ほとんどが若い女性から「145室の 佐藤君 お願いします。」と。

 

当番は電話を取り次ぎ、館内放送で 当人を呼び出す。

 

すると フロアに1つある 共用電話に猛ダッシュ!

なにしろ当時は 長距離電話が超高額、

遠距離恋愛の通話はすぐ数千円になってしまう。 

 

電話の取次ぎの合間、部屋毎に ラブレターの仕分け をする。

 

連絡手段が 安かった 手紙のやり取りが一番人気だった。

(44年前 卒業記念でもらった湯のみ)  

 

全寮制の長い学園生活、勉強ばかりで大変と思いきや、

近所の女子高生の ソフトボール部と 対戦したり、

 

廃車予定のポンコツ 国鉄東名ハイウェイバス、

教官の運転で 遠足に行ったが 道中 故障続発・笑

 

最初は躊躇した 自由ない全寮制の 長い教育でしたが、

当時の写真を見れば 笑顔が絶えず 楽しかったな。  

 

プライバシーは無いが、逆に1人部屋だったら?

仲間がいたから、乗り越えられた長い全寮生活だ。

(44年前 卒業記念でもらった湯のみ) 

「いずみ」は女性の名ではなく、

鉄道学園内にあった居酒屋の店名です・笑