早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

幸せって何だろう「団地の家族」人間くさい 昭和の生きざま。

「団地のふたり」ってドラマが人気らしく、

団地育ちとしちゃ、気になるけど、私は見逃した。

 

ところで石破さんの「60年前は、皆、幸せそうだった。」

ちょっと気になっていて、「幸せって何だろう」

 

一番幸せを感じたのは、昭和一桁の親世代だろうな。

 

空襲から逃げ延び、戦後焼け野原から、七転び八起、

底辺から右肩上がりに、癌が治る時代まで生きた。

 

まぁ、私も昭和30年代 生まれだから、

日本が浮上を始める頃で、脱貧乏の幸福感はあった。

(55年前の東京)

 


そりゃ今の時代のほうが、断然快適で豊かだが、

感謝からして、当たり前の世の中になってしまい、

 

まぁ、昔は良かった、昭和が幸せという人もいるが、

あの時代は、過ごした人じゃ無きゃ 解らんだろうな。  

 

何しろ「人間くさい大人」がたくさんいて、

理不尽な事が多く、かつ喜怒哀楽が私の昭和。

 

私は悪戯小僧だったので、先生のビンタが日常だったし、

 

時には「俺じゃない!」って前に 往復ビンタをくらい、

女子が「〇〇君にいじめられた」と嘘を言ったのだ。

理不尽過ぎるだろ~おれは無罪!冤罪じゃないか!

 

だが それほど後はひかず「怒哀」は一時、すぐ忘れる。  

 

大人は基本的に怖かった~親もそうだったな。

 

同級生は、親に 神社の木に縛られたのは、

弟の面倒を見るのを、怠ったため。

 

私も叱られると、良く家から追い出された。

団地の鍵っ子だったので、ドアは開けても、

チェーンまで掛けられて、入る事が出来ないから、

 

子供ながら考えたのは、薄い板を拾ってきて、

少し開いたドアに差しいれ、チェーンを外す技を覚えた。

 

こっそり家に侵入し、押し入れの中で寝て、

翌朝、ビックリ仰天した親の顔、痛快だったな・笑。  

 

身体が大きくなると、

親父と6畳と4畳半の団地部屋で、取っ組み合いのケンカ。

 

身体が小さい私が、障子に突っ込んで、負ける訳だが、

 

中学になると、子供の方が強くなり、

柔道の技で、親父を抑え込んだと思ったら、顔に衝撃が。

 

親父は、厚い国語辞典を武器に 殴りやがった。

一週間は 腫れがひかないぞ!

まるで午後のロードショーの、アクション映画的な日常、

 

暗黙のルールとしちゃ、私は素手で、親父は武器も可。

私は勝ちそうでも、わざと負けて終結。

 

その後は、何事もなかったように、片付け始める親父。

 

何が原因で、ケンカが始まるのかは忘れたが、

狭い部屋に、5人家族で住んでりゃ、些細な事だ。

身体のぶつかり合いが、昭和であった。  

 

昭和の団地、どのお宅も同じ世代が住んで、子だくさん。

ドタバタ対決していても、さほど問題にはならず、

 

「〇〇君が神社の木に縛られていたって!」

ニュースや情報は、口コミですぐ広がる。

プライバシー無き団地、大きな事にならず収まる訳。

 

いろいろあっても、ハッピーエンドが幸せって事、

昨今は、幸せを 感じづらいのかも。

 

昭和の団地は、人間くさい思い出がたっぷりだが、

18歳で出てから、私は戻る事がなかった。

 

なぜなら狭く、弟妹も大きくなれば 居場所はない。