「漢字が読めない若者たち」って記事で思い出しました。
私が高卒で初めての職場、ヤバい人にも見える検査長は38歳。
眉間に深い傷があって、笑って気軽に話せる雰囲気は全くなく、
身長185㎝と背が高くイメージとしちゃ松田優作さんですね。

私と20歳違うので、生まれは太平洋戦争が開戦した1941年でした。
だから勉強する時間が出来たのは、社会に出てからかも知れません。
この人は中学卒で、高い経験値と技術力を持ってましたが、
弱点が1点、先輩は漢字が苦手でした。
なにしろ全て自筆で、年賀状を100~200枚やりとりした時代、
先輩は常に国語・漢字辞典を持ち、調べながら丁寧に書いてました。
強い酒を飲むので、指が震えていたのもありますが丁寧に。
ときおり「おい!これは何と読む」と聞かれた事もあったっけ。
下記、香港地下鉄の湾仔(わんちゃい)みたいな、
とても特徴があり、力強く書くので良く覚えているのです。

仲間の和は完全に無視、そしてお金にはとても貪欲なやり手でした。
他の先輩達から「今夜は時間があるか?」って声がかかる時は、
新橋の安いホッピー(ビール風の安い酒)屋に行く誘いですが、
この先輩の「今夜は時間があるか?」は深夜のミッションだった。
24時頃に指示された場所に集合し準備をする。
命綱を装着し電柱を6m登って、シメラーとラチェットを使い、
電線を支える懸垂ガイシを交換する任務などです。

ヘマすれば最悪だから、先輩が厳選した者に声がかかったようで、
暗闇で僅か3時間の任務だが単価はそうとう高額になった。
いかにもピンハネしそうな人にも思えたがそうでもなく、
思えば私を選んでくれたのは「先輩!光栄であります」かな。
印象深い先輩でしたが、再会は・・・もういいかな・笑
パソコンもスマホも無い時代は、国語辞典が必需品だったし、
苦労しながら漢字を調べて自筆でたくさん字を書いたが、
私もヤバいな。退職してから ほぼ何も字を書いてませんぜ。