早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

65歳を待たず早期リタイア後の日常生活・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

認知症要介護5「姨捨山」に置いてきたのかも知れないな。

長野県のホームページに「姨捨山」の民話が出てました。

篠ノ井線 姥捨駅は一度行った事がありますが、

父からも聞かされた伝説は 禁句のような風潮もあり

「姥捨て山は実在しない」と言い切る方もいます。

食料難の時代「60歳になった年寄は山に捨てる事」

息子が 60歳になった母を背負って 山を登る。

背中の母は「ボキ」っと木の枝を折って道に捨てていた。

息子は その音に気が付きながらも、山を登った。

母を山奥に置いて 里へ帰る頃は真っ暗で、

息子は道に迷って母の元へ戻った。

母は「枝を折ってきたので、目印にお帰り」と。

息子は いたたまれない気持ちになった。

 

昔なら 私も山に捨てられる歳だが 今や飽食の時代、

「命を繋ぐ食」から「娯楽の食」に生きた幸せ。

食糧難の時代「口減らし」のため日本各地である伝承。

本当に食糧難があった?と言えば 家に米の配給伝票があった。

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この伝票がないと 米が買えなかったらしいが、

子供の頃は 米だけはたくさん食べる事が出来た。

今の時代 高血圧で健康悪の「塩」も専売制だったし、

もともと 人が生きていく上で 塩は必需品でした。

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父は米ではなく 鳥の餌みたいなのを 食べていたというから、

実際に太平洋戦争後の日本は 大変な食糧難だったのだろう。

 

地元の年配者が知る歴史悲話は 公に出てこないので

実際に姥捨山の風習が あったのか定かではないが、

先日、八丈島の旅記事を書いていて 思い出した「人捨穴」

看板の設置など反対があるようだが(イメージ悪)

海風が通る穴で「風葬」したとか、老人を置いてきた、

子捨で人口増を防いだとか、真相は定かではない。

昨日のサイパンの記事「カラベラケーブ」

ここは先住民を落とした穴で、少し意味が違うが、

古い地名が残っていると、歴史が見えてくる。

こういった山にある穴、あちこちにあるんだろうな。

という事を思い出していたら、

私も母を 姥捨て山に捨ててきたのでは?と。

要介護5で認知症の母を 父が在宅で診ていたのだが、

父が先に他界し、残された母をどうしよう。

家で面倒を見るには 仕事を辞めなければならないし、

運よく特別養護老人ホームに入れたとしても、

看取りはしてくれず 私が仕事をするには難しい。

そこで高額ではあるが 病院でやっているホームへ、

私は母を背負って山を登って行った訳だ。

現役の家計を圧迫するのは 認知症ながら思ったのかも知れない。

それから2か月もせず、母は父の元へ旅経った。

ずっと心に引っかかっていて、それで良かったのかな?と。