早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

戦後の食生活「昭和の給食から配給米、私を育ててくれた、お米に思いを馳せる」

お米をたくさん食べれば、大きく育つのだろうか。

 

親父方は 4人兄弟のうち、

健在する 末っ子の叔父から 聞いたのだけど、

「俺、コメ食ってたんだよ~戦後、末っ子特権で。」

 

「アワやら、ヒエを食べてた時代?」(インコの餌だ)

 

米を食べて育った 長男と末っ子は、身長が180cm近いが、

成長期に戦時中となった、次男三男はそれほどない。

 

ところで私は、昭和40年代に小学生だったが、

給食は食パンが2枚と、マーガリンかマーマレード。

 

瓶の牛乳(その後テトラパック)

おかずは、薄いカレーが人気だったが、

鯨の竜田揚げは、香り食感、硬さとも最悪で飲み込んだ。

 

しかし、栄養的には良かったのか、大きく育った。

一方、奥さんは、どうしても食べれず、

先生の目を盗んで 隣の男子に 食べてもらったそうだが、

そのせいか解りませんが 小柄である。

 

なんで 学校給食が、コメではなかったのか?

アメリカが、小麦を援助してくれたとか、

米を炊くより 軽いパンは運搬に便利だったとか、

 

しかし、パンよりご飯が、断然好きだったから、

家ではご飯ばかり、食べさせてもらったというか、

おかずが少ないから、ご飯がすすむ訳で 10杯食べた。 

  

卵かけ、江戸むらさき、マヨ醤油ご飯 があれば最高、

栄養不足のようだが、小学6年時クラスで一番大きく成長した。

 

この頃、米は配給制だったようで、家にあった米の通帳。

 

 

これを持っていかないと、米は買えなかったようです。

私が大人になって、米を買うようになったのは、

昭和56年位から 平成にかけて 10kg 5千円ってのを覚えており

コメの価格が一番高い時代だったようです。

 

社会に出て 鉄道職場でメシを作り カレーとなれば、

1人1.5合の米を ガスで炊き込んで ほんと良く食べた。

 

その後、ウチも食べ盛りでしたから、

平成米騒動の時は、10㎏ 1万円 高いと思わなかった。

 

それからくらべりゃ、米の価格も安くなったし、

どこのお店も、食材が豊富にあって、

ありがたい時代に 生きさせてもらって感謝です。

 

今や、朝食バイキングなんど、おかずが豊富すぎて、

かつ、歳をとって 米を買わなくなりましたが、

お米を大量に食べて、健康で大きくなったのは確か。

 

育ててくれて ありがとう「お米」さん。