1つ下の後輩から、お歳暮のエビスが届き、
そして年賀状を書き上げて 郵便局に出してきました。
しかし、20年~40年も会ってない人達と、
繋がっているのが、年賀状などの風習って悪くなく、
それ以外の人の、消息は解らなくなっちゃった。

就職した頃は、組合活動が盛んな職場もあったが、
私のとこは半数が20代で、皆、兄弟のように仲良しだった。
しかし当時、中曽根総理の「戦後昭和の解体」が始まり、
俺らは 激動の波に飲み込まれていった。
早々に見切りをつけた、40代の先輩達が まず辞めていった。
次はタクシー、ホームセンター、屋台のラーメン屋をやるって。
最も親友だった人は、洗剤を売る副業を本業とするため、
非番でも 仮眠を取ることなく副業、事故を起こした。
信じられなかったが、あと50mってところで寝てしまい、
重量車両の破壊力は、誤魔化せる範囲を超えており、
愛用の サーフボードを私に残し、彼は姿を消した。
そのうち退職金の上乗せ、24歳で300万円になるから、
当時としては、これは魅力を感じる額、
友は「これからはコンピューターだ」と辞めていった。
さらに小田急、京成電鉄へ、突然の別れがやってくる。
送別会などやってる猶予もなく、別れはあっけなかった。
北海道や九州から、広域移動で新しい仲間がやってくるが、
馴染めず、ヘリの免許を取ると米国へ渡った人も。
新会社を希望した友は、実家に近い職場に異動出来たが、
そこで深刻な虐めにあい、辞めてしまった。
そのうち職場の掲示板に、就職案内が掲示され、
大蔵省印刷局、航空、警備、郵政、警察、東京都・・・
新聞の1面に出るような、大事故も頻発化しており、
自分が事故を 起こす恐怖感もあったから、
私も現職に嫌気がさしており、新たな仕事に応募した。
「welcome!」ってとこもあれば、
「東京都は火葬場だよ」と嫌味を言われたり、
この頃に 大型2種免を 府中試験場で4回目で取れた。
結婚するにあたり、バスかタクシーが出来れば、
生計を保てるだろうと 考えた 私は24歳の若者だ。
残業は50時間あって、今の収入の倍額は魅力だった。
しかし私には、気に掛けてくれる良き上司がいて、
「お前に向いている仕事」と付いていった。
せっかくの人脈、私の適材適所を考えてくれたから、
自己判断せず、先輩についていって正解だった。
あの頃の職場の親友たち、今は何をしているのか。
高卒で入って 10年も居なかった 激動の職場だが、
凄く長い期間を 過ごしたように思える。
そして様々な勉強や 一通りの事を経験をさせてもらい、
私にとっての大学だったのかな「日本国有鉄道」
年末に振り返ってみる 中曽根総理の「戦後昭和の解体」