半世紀ぶり江戸川区 平井の街を歩いてみた。
叔父家族が住んでいて 私が小学生の頃まで 正月は平井に集まった。
遡れば 終戦後満州から帰国した叔父は 結婚して平井に住み
東京大空襲で全てを失った 年が離れた妹である私の母は
叔父宅に身を寄せて 就職した役所に通っていたそうだ。
3男の叔父は満州から生きて帰国出来たが
長男次男はパイロットで戦死 母の両親も消息不明。
3男の叔父が帰って来なければ 母は一人でどうなった事か?
その後 母は職場の先輩であった父と結婚し平井を離れた。
明治時代に完成した総武線 踏切がなくコスト高の高架を走っている。
今は治水が完璧だけど 昔は水が出やすい土地だったって事だ。
駅前マンションになってしまったが 自転車預り所だったな。
江戸川区平井は大きな荒川と中川に囲まれた下町です。
庶民的で美味しそうな居酒屋さんも多く
他方からこの街に移住した仲間に聞けば住みやすいという。
新型コロナウイルスの3密回避 電車を避けようと思えば、
東京駅や秋葉原まで歩いて行けない事もない。
この下町風景は50年前と変わってない気がします。
変わったのは子供の姿が無く高齢者が目立ちますね。
平井に限った事ではなく日本の流れです。
50年前は最新の高層都営アパートでしたが耐震補強工事がされ
叔父宅は バラックのような都営住宅に住んで
叔母さんがいつも内職の軍手を作っていた記憶があり
その後 この鉄筋の都営住宅が完成して入居した。
叔父さん5人家族が住んでいたのは5階建の
どの棟だったか忘れましたが面影があります。
高齢化に伴いバリアフリーやエレベーターまで
後付けで工事したのは さすが都営アパートです。
しかし既に入居者はなく取り壊し寸前。あ~天の知らせか良い時に来た。
窓枠は隙間風入る重い鉄で 錆びたら開閉困難だった。
リニューアルされ 半世紀以上メンテされたのが解ります。
正月は総武線を見ながら凧上げしたり
夕方は豆腐屋とともに「紙芝居」の叔父さんが自転車で来て
娯楽がない子供達を楽しませてくれました。
都営住宅の隙間からスカイツリーが見えます。
解体する前に思い出の都営アパートに来れて良かったです。
このエリアは都市に近く超便利ですが 小学生の頃に習った「東京0m地帯」
平井駅→新小岩駅まで歩いてみます。
従兄弟の兄と遊んだ荒川河川敷 昔はドロでブクブクして
気味が悪かったんだけど
今はきれいにお花が咲いて区民の憩いの場です。
東京湾河口から6Km上流地点が荒川の平井地区です。
広大な関東平野を流れる川ゆえ通常は水位は一定で
リニア工事でもめている静岡の急流 大井川とは対照的な川。
葛飾区側の荒川堤防は 明らかに土地より水面が上です。
江戸川区 平井が0m地帯なら 葛飾区 新小岩は水面下の街となります。
海抜2mと思いきや「荒川が決壊すると2m以上浸水します」という意味。
(上の赤いテープの高さ?)
あった赤いテープ!通常の中川・荒川の水位はここなんだと思う。
強固なコンクリート堤防に守られ 知る限り水害はないのだが、
もし台風の高潮で決壊したらと 最近は区でもハザードマップを。
「速やかに橋を渡って千葉に逃げるように!」と。
駅前の420mアーケード「新小岩ルミエール商店街」賑わってますね。
なにせ 新小岩から東京駅は 乗換えなしで直通10分
平井から秋葉原までも直通10分というとても便利な立地。
最近は 地方から来た仲間も このエリアを選んで住む人が多く
試しに聞いてみると「0m地帯 荒川の存在を知らない人が多数」
大丈夫なんだろうけど知っていれば万が一に時にね。