2011年3月 HND→CTS JAL機から 函館恵山が見えますね。
函館に行くと欠かさず登る 簡単ながらスリリングな山です。
今シーズンは再開する 冷水山に展開する 夕張マウントレースイスキー場、
2011年 この頃は雪がたくさん降ったとは 思いますが いかがでしょう。
皆さん「ニセコ!」と言いますが ヒラフ麓アルペンコースなどは
人が集中しデコボコになり、初中級には厳しい事が多いんですが、
それに比べ・・・
夕張マウントレースイは 特に空いているので 滑りやすいんです。
この雪質なら 誰もがスグに上手くなった気に・笑
当然 転んでも痛くなく 空いてるゆえ 衝突事故の不安もなく、
お子さんを連れた ファミリーで行くスキー場としてはオススメです。
前の記事でも書いた 斜度43° 夕張カービングライン 、
急過ぎて 雪付が悪いとみえ 北海道では珍しい人工降雪機あり。
万が一 自然の深雪に恵まれたら ファットスキーで滑れば 最高!
まぁ 夏の九十九里の海で波乗り 面ツル頭の波が来た!って感じの確立?
平日は 自衛隊の方が 毎日欠かさず スキー訓練をしていました。
細長い独特のスキーを使っておりますが 非常時には役に立つのでしょうか
夕張名物 石炭カレー(うどん&ライス)
ホテル マウントレースイ&夕張駅前のセイコーマート
お客はいないが 鹿さんがいて ビックリ・笑
ホテルから見た 今はなき気動車です。雪景色にとても合う。
前の記事に書きましたが 雪のバリー屋台入口は風情があります。
夕張父さん(倒産)夕張まっ母さん(赤字)
夕張夫妻(負債)「金はないけど愛はある」寂しくなってきますが
財政破綻した夕張なんですね。
雪景色と気動車の風景は 風情があるけど客はなし。
ずっと前は複線で 資源を本州へ運ぶ 機関車を動かすため、
多くの国鉄職員が 右往左往し働いていたそうです。
ホテルにあった昭和30年代の夕張の様子。
日本の主力エネルギー石炭の宝庫 夕張は豊かな街で
週末は歩行者天国まで出来て 東京銀座のように賑わったそうです。
昭和40年代 東京港区の幼稚園でしたが 冬は石炭ダルマストーブ。
周囲にお弁当を置いて 温めていた思い出。
小学校でも 日直で登校すると 倉庫に石炭とコークスを取りに行って
火をおこし 休憩時間は交代でバケツを持って石炭を取りに行った。
着火・消火は先生がしたと思うが 石炭の面倒は我々生徒がやってた。
先生に叱られると「バケツを持って廊下に立ってろ!」と。
バケツが豊富にあったんだよね、教室に・笑
ランチはゲレンデ食堂、ホテルのレストラン、夕張駅直結イタリアン。
ランチバイキングが500円という安さでした。
山頂積雪 235cm 新雪5cm 気温マイナス7℃ って最高でしょ。
夕張に限らず この数年は急激に雪が減り すぐに解けてしまう印象。
これが温暖化の影響だとしたら 恐ろしくなりますね。
石炭を燃料にしてる場合じゃない!ってのは 当然か。
日付を見ると2011年3月2日 東関東大震災1週間前。
日本は四季があり自然豊かだが 災害が多く(特に近年)
観光業には たいへんな事が多いです。
この話が私が知る 夕張がいちばん賑やかだった頃です。つづく