今やセレブな街と言うらしい 東京港区白金地区ですが、
2000年ころに 地下鉄が出来るまでは不便なエリアだったと思います。
ウチが住んでいた昭和40年代 都電全盛期の写真が出てきました。
グーグルマップより、首都高速が見える古川橋ですね。
1964年の東京オリンピックの時は 首都高速や東海道新幹線が開通
どちらも我が家は利用できない高級なモノでしたが、
普通に利用できるようになった今、あってよかった便利なインフラです。
都電と白金と私
昭和はコロナ禍以上に行動範囲が狭く 白金から出る事は無かったですが、
親に連れられ 買い物へ出掛けた 渋谷駅前の都電乗り場は記憶があります。
古川橋、魚籃坂、清正公前、一ノ橋なんて停留場も覚えているから、
白金からは都電で渋谷に出るか、たまに新橋へ出ていたのかも。
そういえば 魚籃坂で都電の運転士が慌てて、
回転式の手ブレーキを回し停止させたのも良く覚えていまして、
あれは直通空気ブレーキが故障したのか?
調べると保安装置的なものは一切なかったようです。
高級な乗り物だったタクシーは100円したようです。
滅多に乗れないから、父が撮影したものと推定しますが、
都心を走る都電が写っていて、良い思い出です。
モノづくり全盛期でもあった日本、当時は空気が悪く公害が問題化、
街が曇っていますが、生産が中国やアジア諸国に移ってから、
東京の空気や川もキレイになったんですよね。
私は三光坂上の幼稚園に通っていましたが、帰りは裏の谷間を下校していて
マップでみると現在も謎の谷は存在しますね。近いウチに行ってみよう。
その後、白金三丁目の三光小学校に進学しましたが、既に廃校です。
当時の同級生もどっか行っちゃった 寂しいところです東京って。
1966年ころの物価、
高卒公務員給料1万5千円、牛乳20円、かけそば70円、銭湯30円
そういえば銭湯の帰りに、ふざけてドブに落ちて泥だらけ。
しこたま親に叱られたってのは、5人家族で銭湯に行けば150円、
週に3回くらいしか行けなかったから、そりゃ叱られるわ・笑。
いろいろ考えると なんだかんだ今は幸せだな。
緊急事態宣言で遠くに行けなくとも、
都内のゆかりの地を歩いていると楽しいですね。でわ