早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

人生の分岐点を自分で決めた事「2回目は退職」

退職目前夏休み、ビールを飲みつつ物思いにふける。

 

思えば人生の岐路を自分で決めたのは、

最初の就職先で、それが良かったのかは微妙です。

そして今回の退職、たぶん2回目の自己選択。

 

40数年前 高校を卒業する時、

従兄は お金が掛らぬ国立大学に行ったが、

私は勉強が嫌いで バイトの方が好きだったし、

次男坊だった 親父の懐が寂しい事も察していた。

 

親の願いと逆順位の就職先は国鉄、

東急電鉄、国家(郵政)、地方(都事務)。

両親は「安定・安全な仕事をして欲しい」と。

 

自分で決めたのは、国鉄だったのだけど、

当時は赤字かつ、ゼネストのボス的イメージ悪。

 

「国の仕事だから つぶれる事は無いだろう」と、

最後は賛同をしてくれたのだけど、

10年弱でつぶれる前に、見切りをつける仲間。

日本国有鉄道がつぶれた。その後には日本航空も。

 

それ以来、親元を離れ想いは知らないが心配かけた。

 

職場がハローワーク状態になったので、

私の再就職試験、東亜国内航空(その後 JAS→JAL)

再度、東京都(事務)国(郵政)。

大蔵省造幣局、総合警備、空港ハンドリング会社、

「どれも 面白そうな仕事じゃないか!」

 

今、振り返っても、私に事務仕事は絶対無理だし、

どこに行っても、40年は勤まらなかったか。

 

そうこうしてる間に、自分で決める事なく、

当時の上司に引っ張られ「お前は これ!」

適材適所、合う会社を見つけてくれた。

 

仲が悪い仲間と やりたい仕事を求めるより、

そこそこやりがいを感じながら、

人間関係が良好な仕事が幸せなのを知る。

 

でも やっぱツマラナイと、

リムジンバスを運転するか!と就職受験。

反旗を上げれば、これまた首を引張られ「お前はコレ!」

 

仕事人生その都度、良き先輩に可愛がられたのは幸い。

 

今回は、良き先輩に 反旗って訳じゃないけど、

「65歳まで働け!」という道を

散々悩んで「辞めます!」と言って実現する。

それが良かったのか 悪かったのか、

先輩達の言う話は、たいてい正解だったからな。

 「間違いじゃなかった!」自分次第か。