人生の復路、新大阪で折返したひかり122Aに例えるなら、
名古屋停車が60歳とすれば、63歳は浜松定通とする事にした。
まだ人生は長く、左に富士山が見え 長いトンネルに入るが、
出口は絶対にあって また光がさす。
今の円安物価高は、きっと新丹那トンネル走行中なのだ。
ずっと暗い事はなく いずれ抜け出す・・世の中その繰り返し。
さて、社会に出た45年前 第二次オイルショック不況で、
低賃金高物価、今よりずっと暮らしは厳しかったけど、
雑念がなく皆でわいわいと、やりたい事をやっていたから、
けっこう幸福感が高かった時代なのかも知れない。
そして10年間務めて、国の事情で仕事を辞めた際は、
1985年プラザ合意後から円高が進み、世の中が好景気だった。
田町にジュリアナが出来て、明け方に派手な女子がたむろし、
湾岸にスキー場や、波乗りプールが出来た事くらいは知っていたが、
赤字で賞与が年々減っていたのは、俺らだけだった事に気付く。

国鉄が破綻し失業すると思いきや、希望の仕事はたくさんあり、
露頭に迷う事がなかった不思議。
転職先は景気に左右されず、業績が安定して良かったので、
金融引締期に入り不足分は 銀行の住宅ローン 金利 7~8%。
実は住宅ローン、自己破産レベルの返済額になっていた。
そこで35年ローンの高金利、僅か100万円を繰上げ返済したら、
10年も返済が短縮された事に気が付き、がむしゃらに働いた。
そして長銀の5年定期利息が、8%越え~もう働いて稼ぐ!
そのうち住宅は売れず、兄弟がリストラされて世の中が変わった。
のちにメディアが、バブル崩壊と名付けた。
私とバブル組の立場が逆転し、世間と裏腹に追い風が吹いた。
金利が低下し、借換で住宅ローンが返済出来ちゃった不思議。
その後は不動産暴落、売れ残り物件に住み替えちゃった不思議。
そして人生の安定期に入り、先手必勝 旅趣味のHPがヒットして、
アメリカからエアメールで、ドル建小切手が送られてきた。
不思議だった~銀行に行って、取り立ててもらったのだけど、
行員さんも「Googleってなんぞや?」そんな時代でした。
だから手書き時代の確定申告も、ずいぶん昔に覚えて納税した。
このおかげで趣味も充実し、仲間が急増していった。
(その後は陳腐化により閉鎖・ブログは儲かってはいません)
不思議だらけの人生、仕事に関しちゃ自分で決めた事はなく、
母親に背中を押され、家を追い出され、
気にかけてくれた、良き上司が手招きする方向に行っただけ。
でも新しい事は躊躇なく、取り入れていったのは大正解。
人生の節目は何度も経験し、逆手に取って生きてきたけど、
もう一度人生やり直すって?もう嫌だ・笑。
そして世の中、また節目がやってきたようだけど、
成り行きを見守って、来年も良い年になりますように。