早期リタイア・アウトドア旅行&日常備忘録「還暦プラス」

60代早期リタイア後の日常・東京拠点 国内外アウトドア&温泉旅行記

1980年代パラオ・コンチネンタル ミクロネシア航空

若返って人生最初から 苦労するのは嫌だが、

潜水旅行がまた出来るなら それはアリだな。

 

真鶴で潜っていた頃、ダイビング雑誌は毎月買っていた。

載ってたのは 正月のパラオ40万円、パンナムでマニラ経由。

行きたいとも思わず スルーしたのは月給10万円だ。

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危険な暗闇バイトもやったけど、

「若いうちは なんでも出来る!」

無理をしても、やった方が良い事は多々ある。

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もう潜るのは辞めるか!一通りの事は体験したし。

そんな時に彼女がパラオ行きの話を切り出した。

クラブアイランダーという、小さい旅行会社が

パラオ5日間ダイビング付き 16万円というツアーを企画。

 

懐かしい道中を、YouTubeにUPしたの忘れてた。

コンチネンタルミクロネシア航空で、

成田からサイパン、グアムでトランジット(乗換)

グアムからヤップ、コロール パラオへ1日掛かり。

Boeing727という飛行機、尾翼に3つのエンジンがカッコイイ。

最後尾から階段が出てきて 乗り降りする。

空港設備が乏しい1980年代の南の島、

滑走路さえあれば 離着陸OK!楽し過ぎる飛行機の旅だ。

ミクロネシアの島々を飛んでいた「Boeing727」

砂ぼこりを上げて 離陸していく姿・笑

こちらは機関士の席、3名体制で飛んでいた時代

映画トップガン マーベリックで、旧型機に乗ったグースの息子、

「なんだ~このスイッチの多さは!」解るね・笑

アナログなコックピット。

座って帽子を被らせられたのは、ダイビング仲間(現 奥さん)

隙があるというか、皆に話を掛けられやすく、特に外国人。

今も北海道のニセコにスキーに行っても、

オージー達と仲良くチヤホヤされ、得な性格である。

途中降機のヤップ島は プレハブ小屋がひとつの空港、

住民は裸族であり、女性はトップレスであった。

パラオから帰路、ヤップ経由グアムまで、

この頃は日中のフライトで、ヤップのラグーンの美しさ。


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観光施設なんて まるで無いパラオが良かったのだ。

あるのは自然!海!島!それだけ。

私はグアムを中心、左側の島しか行ってないが、

右手に飛べばチューク(トラック)ジープ島、

ポンペイ、コスラエ、マジュロ、ホノルルまで、潜水パラダイス。

今はユナイテッド航空となりアイランドホッピング便がある。

なかなか、もう時間切れだ。

ダイバーの夢パラオ「スプラッシュ」育ちはスパルタの海

断捨離、衣類の処分も始めたが、

タンスの奥から 変色したシャツが出てくる・笑

 

パラオのスプラッシュかぁ

40年間大切にし過ぎたお蔵入りTシャツ。

未だ存在する南の島のダイビングサービス。

 

描かれるのはマンタ(オニイトマキエイ)ダイバーの夢。

私と潜水、超体育会系の先輩に半強制的に連れられ、

東海大学でやっていた伊豆の潜水訓練所へ

全寮制で7日間入校した。

時は千代田区のホテルニュージャパンで火災が発生、

多くの死傷者が出た事に心を痛めた先輩が、

「俺が東京消防庁のレスキューになって命を救うんだ!」

 

猿のように身が軽く、運動神経抜群な先輩、

誰もが納得、スパルタ潜水訓練も臨むところ!

こういった ド根性系の訓練が大好きなのだ。

そんな強靭な先輩に、私は付いて行きたくなかった・笑

「スパルタの海」戸塚ヨットスクールなんてのもあって、

私は嫌な予感しかしなかった。案の定・・・

 

タンクを背負って、マスク無し、片フィンなど想定、

毎日スノーケルで 5km以上は泳いだであろうか。

 

「海につかまるヘリは無い!」「疲れたら浮いて休め!」

 

日課の締めは、6kgのネックレス状の重りを首に巻かれ、

10分間の立ち泳ぎ。今じゃ問題になる拷問でしょ!笑

映画であった海猿と同じだ。

 

一方、東京の街中にもダイビングショップはあり、

同年代のビキニ姿の姉さんたちと、愉快に講習を受ける友達も。

 

そりゃ後者が楽しいに決まってるじゃん!恨む・笑

 

まぁ私、泳ぎは遅いし下手くそだけど、

長時間浮いていられるし、

長い距離を泳ぐ事が出来るのは訓練の成果があったのか。

 

当時、ダイバーになったところで、真鶴の海ばかり。

たいてい寒いし、時に透明度は30cm ほぼ見えない・笑 

時に迷って、長い距離を泳いで良い事はあまりない。

もう潜るのはいいや!と思った頃に円高になって、

夢にも見なかった 南の島パラオ。

20年くらい間を空けて、またパラオへ行き始めて、

ダイバーにとって最高の南の島なんだな。つづく

完全退職まであと僅か!セミリタイアに突入して思った事。

FIREムーブメント 早期退職が話題でしたが、

最近は あまり見かけなくなりましたね。

 

実際に私、今月は 4連休、3連休、5連休、7連休。

来月は半分位は 仕事があるかも?ですが、

ほぼリタイア!まもなく お呼びは掛かりません。

今、思った事は、最初の無予定4連休で「刺激が無い!」

気持ちが落ちてしまって、迫りくる7連休、

何するの?不安になってきました。

 

思えば最後の正月は中学、高校1年からバイト大好き。

4~7日間も予定が無いって、小学生の夏休み以来だ。

 

まぁ これは 先輩や若い後輩からも、説教されてた事。

「1か月したら、暇が苦痛になる」

また、新たに仕事を始めた 先輩も多いんだよね。

 

冬は、思うぞんぶん、スキーが出来るぞ!って?

細かいプランは 練って無いからね。

 

雪山で 新たな世界を展開するなら、

スキー場に籠って、何かしら 労働に参加する事。

英語が堪能で 接客が得意なら 人脈が広がるだろう。

 

お客の立場なら、しょせん そこまでなんだよね。

たぶん飽きて、孤独が襲ってくる。

 

「仕事して 余暇で遊ぶから 楽しいんでしょ!」

ごもっともだな~今の旅行、たいしてオチがない。

 

今も、過去に縛られ、妄想していたのは、海の旅。

ダイバーって、目的を持った旅をする。

タオ島で ジンベイザメを追いかけようとか、

パラオのブルーコーナーへ、絶対に潜りたい!

マンタに会いたい!いずれも 自然は保証はないが、

目標が同じで集まった同志、盛り上がっていく。

私は観光地や博物館を巡って、食べる旅行ではなく、

もう一度「旅」を展開したかったのだ。

 

今回のセミリタイアも、後輩たちから 苦言だらけ。

「職場に来てるから  健康なんでしょ!」

「リタイアしたら 絶対に、太りますよ~」

 

次回の仕事日は、スリムを維持し出勤せねば・笑

 

親戚の男たちは、リタイアしたら 短命なんだよな。

辞めたら生き甲斐をなくし、食べて飲んで。

一方、女性陣は、ウチの母を除き、未だ健康で長寿。

95歳の 叔母はエレベータを拒否し 階段を歩く。

男より、女性はしっかりして たくましい。

 

老後の資金面もありましょうが、

何をするのか 目標をしっかり。

車で一人北海道へ向かっても良いのだが、

これまた無目的。その先に何があるのだろう。

それに家族の手前、なかなかそうもいかず、

家があれば あまり長期は 離れる事も難しい。

 

私は芸能人でも政治家でもなく、

少し早くリタイアしたところで、

遅かれ早かれ  暇は訪れる。

これから有り余る時間を どう過ごすのか?大変な問題だ。

「断捨離」Catch The Wave!サーフィン系 60歳代・完全引退

60歳を超えても、波には乗れるでしょうが、

東京から近く 空いてるサーフィンビーチ、

常に遊べる波があるのは 九十九里の海ですが、

遠い沖まで 泳ぐのは かなり息が切れ、

激しい運動になりますので 身体が持たないと自覚。

(最後に海に入ったのは震災の翌年 2012年まで)

東京周辺の海で スローライフは無いので、

もう完全引退を宣言し、最後のモノを売却です。

 

ハワイのローカルモーション サーフショップで

BZ DIAMOND STINGER 、ボディボード USD 120で購入。

調べたら1988年 35年前!Vintage(買取価格100円)

この時 タウン&カントリーの ロングボードもUSD500で購入

キレイなうちに 後輩に1万円で譲りました。

先日の記事、BOSE 101スピーカーと共に HAWAII 安っ!

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30年くらい前?ユナイテッド航空のHAWAII、

パッケージ ツアー代 7~8万円位と安く、

更に5千マイルも ボーナスマイルが付いて、

mileage plus セゾンカードと相まって 大盤振る舞い!

 

この頃は ハワイが旬!と言えたかも知れませんね。

BZ DIAMOND STINGER に乗る筆者です。

通勤途上に 波乗りプールがあったり、

上手くストレスを回避できた 社会人人生でした。

こちらは ムラサキスポーツで 20年前に購入?

経緯は 覚えておりません(買取価格200円)

友達の奥さんが 撮ってくれた この板に乗る筆者です。

こんな景色が見えます。これは無謀にも 自分で撮りました・笑

大海原を滑走すれば 嫌な事はすっ飛んで、

移住した親の家の側が、サーフィンビーチだった事も幸いし、

30分ほどの短時間で ストレス発散するには、

短い板のボディボードは 機敏性を発揮しました。

 

板をクルマに放り込んでおけば、サッ!と出来た訳。

海から上がれば ペットボトルの水を1本かぶって終わり。

良い波に1本だけ乗れば良い。当時46歳の筆者です。

あと、ヒビ入りフィンが 50円で買い取ってもらい、

もう一つ、良品が 800円=合計1,150円で清算!

心身とも丈夫になった 人生で素晴らしい趣味の一つ。

 

特に 短いボディボードという板は 気軽で、

介護の親を見る合間「ちょっと海へ!30分で戻る!」

一波だけ乗れば、不安や嫌な事も飛んでいっちゃう。

 

同時に海の自然、海岸の浸食 砂の堆積という 

重病を抱えている九十九里の海の問題も知った。

Catch The Wave!海よ ありがとう。

不思議体験の始まり①「潜水旅ホームページ作成」先手必勝 2001年

第2期 ダイビング MYブームを再開した 2001年、

この話は「先手必勝」と言えるかも 知れないな。

旅先への暇な道中、ホームページを作り始めた。

ソフト満載 富士通のPC「ホームページビルダー」

モデムを買って 電話線をつなぎ ダイヤルアップ。

 

その頃 ADSLが登場し ネットが使い放題になった。

 

ダイビングをする人は 水中写真を撮っており、

ホームページを 持っている人がいたから、

お互いメールで情報交換し 相互リンクした。

 

私は高価な カメラを持っていた訳ではなく、

水中写真の ホームページより 見劣りするので、

潜水旅行の物語を ホームページに上げていった。

 

「準備・出発→道中の様子→ダイビングサービス

→海に潜って→アフターダイブの一期一会 

→友達が出来て 再会を約束し、旅を終える。」

 

こんな内容を 5ページ程度にまとめ、

ダイビングサイトの カテゴリを増やしたが、

これが けっこう人気となったのだ。

 

当時の情報は、月刊誌を頼りに旅に出たから、

素人の体験談がウケたのかも知れない。

 

私の 内容が充実し、ヤフーがカテゴリ登録してくれ、

アクセス数が 右肩上がりになって行き、

何かに紹介された日にゃ、爆発的なアクセス!

怖くなって ページ削除した事もあった・笑

 

リピーターで 遊びに行った先で 驚く事があった。

 

「私の体験談を 印刷して来る客がいる」という。

ビックリ仰天 感動してしまった。

 

それから 行くとなれば 既に盛り上げてくれており、

旅日記に登場したい人が 集まって 一緒に旅をして、

貴重な 人生経験をさせて頂き、ホント楽しかったよ。

 

潜水旅のHPは 初の旅先においても効力を発揮。

現地に挨拶がてら メールにURLを添付しておけば、

私の経験値が 一目瞭然に伝わり、

到着すれば 即 豪快な海に繰り出せたから。

利用した 現地サービスとも、相互リンクをして、

一時は 「検索しても 私のHPばかり出てくる!」

知り合いの 潜水旅行社から 苦言があった・笑

今でもグーグルで「昭和・高校生・タバコ」と検索すれば、

このブログが一番にヒットするが・笑

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当時、あれほどヒットするとは 想像もつかず、

「先手必勝の訳」他に やってる人が いなかった

その後は、このブログの調子で 多岐に渡りUPしたら、

サーバーがいっぱい!他のサーバへの繰り返しで、

収集が付かなくなった頃、世間は MIXI 経て、

Facebook、Twitter、私のHP掲示板に集まらずとも、

それぞれが 書ける時代となり、お役 御免となりました。

 

それでも、はてなブログが 2011年~というから、

10年 位に渡って、素人ホームページ全盛期だったのか。

 

誰もやっていない事を、真っ先に始めるのは、

ハードルも低く 「先手必勝」とは 良く言ったもの。

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振り返ると、いろいろ楽しい資料が出てきたので、後日。

2022ふるさと納税⑪川南町宮崎牛切り落とし1.2kg

川南町から、宮崎牛小間切れが届きました。

畜産が盛んな町なので、本当の特産品ですね。

いやいや、良心的な寄附金返礼品に思います。

波乗りやっていた頃、宮崎へ移住した仲間も。

東京五輪が開催された、千葉県の九十九里浜が

関東では人気のサーフスポットだけど、

東京都心から近いゆえ、サーファーで混むしね~

 

そして九十九里の海は、私は11月が寒さの限界だから。

何しろ、宮崎は温暖で海水も暖かい。

私も夢を追えば、違った人生もあったろうし、

人生の可能性は無限で、自分で切り開くモノ!

とは思ったけど、60歳を過ぎれば身体がね。

昔のサーファー仲間は、どこでなにをしてるやら?だ。

川南町長さんのお礼とともに、宮崎牛の返礼品。

また、遊びに行かせてもらいますね。

近視で老眼になった「シニア労働者の苦悩」

40過ぎて 20年お世話になった仕事は、

管理部門でマイペースはなく、

俊足チームワークなので 向き不向きがある。

 

「若い連中」は35歳位で、それより若い人はおらず

人間関係はある意味ラクなのだ。

 

しかし久しぶりに、仕事社会の厳しさというか、

職場は 家族ではなく 仲良し友達でもない。

助け合って、仕事を進めてからこそ、

仲良し関係なんだと、つくづく思い知らされた。

 

若い連中から、ヒソヒソ話を聞いて、

新しくきたシニアさん、視力が悪いのはまだしも、 

老眼になり 近くも見えないというのだ。

 

何かを確認すろも、眼鏡をオデコに乗せて、

更に見えずらいから 時間がかかる。

 

目に余った若手が  サッとやってしまうし、

更に負担が増える 若手の不満は募るばかり。

急を要する時は シニアに後輩から罵声が飛ぶ始末。

 

私は幸い視力良く 今も新聞は裸眼で読めるけど、

年とって近視老眼  新しい環境で働くのは大変なこっちゃ。

誰だって 遅かれ早かれ 老化は避けられず。

 

久米島で潜った際、ギンガメアジのトルネードが撮れ、

中居君の番組に 無償提供した動画なんだけど、

番組では 学者が解説してくれて 為になった。


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社会人も魚群のように一体感で回るけど、

馴染めない魚が 外れて行くのは、

「泳げ!たい焼きくん」になるかもだが、

形にハマって動きずらくなったら、

私もハズレちゃうしかないか!

少なくとも60までやれば、群れから離れるのもヨシ!

終活スキャン!1988年のダイビング雑誌

今日は休みなので 終活再開!断捨離です。

家からモノを出し シンプルライフを目指さねば!

老人ホームに引越も出来ません。

それに先日に泊まった アパホテルみたいな部屋もイイ!

手ごろな広さは、光熱費も節約出来て冬は暖かい。

まず大切に眠っていた、月刊ダイビングワールド1年分

貴重な資料もあるので、ただでは捨てません。

キャノンのスキャナーで PCに取り込んじゃえば、

見たい時の検索も早いし、私は古い紙はアレルギーで、

クシャミや鼻水、喉の痛みとヤバい事になるので。

小田原 根府川の海も潜ったね。

関東大震災時、地すべりで根府川駅と機関車が海中へ!

痕跡を探りに行ったのだが、鉄は戦争に向け回収され、

ホームのコンクリート瓦礫のみ沈んでいた。

話が外れたが、フォルダーに入れとけば見やすい。

1万円前後で購入、安い割には便利でキレイにスキャン!

スキャンしながら、懐かしい記事を読み読み。

1980年代は、昨今のように想定外の事が多々。

為替は、1ドル250円時代から128円。

庶民であるウチらは、いきなり生活が良くなった。

グアムが6万円台、行けちゃう南の島グアム!

全食付き、モルディブ8日間が11万円。

この頃のダイビング雑誌を見返せば、

沖縄はこれより高かったようで、石垣島ツアーが18万円とか。

国内旅行より、海外旅行のほうが安くなる、

おかしな時代となりましたが、見知らぬ世界に行けた現実、

まさに 円高の恩恵を 最大限に感じる事ができました。

南西航空は1993年まで、今はJTAです。

田中みゆきさんという方が、キャンペーンガールみたいです。

この頃、まだ私は 沖縄に行った事が なく、

狭い東京から世界に向けて、

出歩くきっかけとなった、円高時代に突入です。

円安時代、今までの発想を転換しながら、

安くお得に、楽しく生きていきたいものだ。

ダイバー憧れパラオが40万円!1984年の水準に逆戻り「円安インフレ物価高」

今日も 老体にムチ打って 楽しく働いたよ。

帰りは 海外旅行再開ムードの旅行会社に寄った。

 

パラオかぁ。かつて 日本人ダイバー憧れの海、

私も、100本は 潜ったであろうパラオの海、

太平洋戦争の 激戦地でもありますね。

 

複数回行って 宿も一通り 泊まった パラオですが、

一番安いホテルで、旅費が40万円?うそ~!

PPR パラオパシフィックリゾートだと 60万円!

私の蔵書、1984年の月刊ダイバーを広げた。

この頃は 冬も伊豆の海に潜り、寒さと戦い我慢比べ。

つまり、お金がなく、伊豆しか行けなかった・笑

1984年号の パラオ記事を思い出し 旅費40万円。

パンナムでマニラ経由、エアナウルという、

当時、40万円なんて 手取りの 5か月分ゆえ、

まるで月に行くような夢。ダイビングはやめた。

為替は 1ドル 238円の時代でしたね。

1986年から 1ドル200円を超え 168円~円高の波だ!

海外が安くなって、数年後に パラオに行けた時は、

僅か4年で 1ドル128円!1ドル100円もの円高だ!

 

恩恵は パラオPPR泊、ダイビング付ツアーは16万円。

その後、パラオは 日本人ダイバーの社交場に。

平日だと 8万円~だから たくさん行けたのです。

 

はぁ、パラオが40万~60万円って。

1984年の、1ドル 238円時代に 逆戻りかよ。

 

なんだかんだ 日本政府は国民に優しくて、

ガソリン燃料にしたって、来春まで補助して下さる。

 

国内にいれば解らなくて、ちょっとの値上げで騒ぐし、

私もドル円が 200円~円高で、豊かさを感じた。

 

だから1ドル145円なんて、まだまだ!思うんだけど、

円安インフレ物価高、感じる以上に深刻なのかもね。

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2017.5.31・ダイバー引退の日「ハワイ沈飛行機コルセア」

2017.5.31・思えば ダイバー引退の日、

オアフ島沖の海底に沈む 沈飛行機へ。

 

この日、ワイキキの宿に 迎えに来て頂き、

ハワイカイ マリーナへ向かったのは、

ウチ夫婦と、少し先輩の 男性2名 計4名。

彼ら「60歳になるので 今日が最後の潜水」と。

 

今となれば、私も 最後の潜水日になってしまった。

 

1984.5.26~東海大学潜水訓練センターで、

魚類研究科でもあった 所長の益田一先生から

潜水課程修了証書を 頂いてから33年間、

 

ずっと定期的に 潜っていた訳ではないが、

人生の余暇において、時には一人旅、

友人と家族と、潜水器材を担いで旅に出れば、

日本人ダイビングガイドが笑顔で迎えてくれ、

一緒に潜るダイバーは、初対面でもすぐ友達だ。

 

国内外のダイビングポイントを目指す旅、

 

コロナも収束、そろそろ第二の旅立ちだが、

潜らずして、旅のスタイルが見つかず、

 

もういちど、潜水器材を担いで、

旅先で色んな人に出会って、一緒に飲んで食べて、

「我が人生に悔いはなし」となろう。

海に潜れたので、ずいぶん充実した旅が出来たのだ。

 

身体を鍛え直し、伝手をたどって、生まれ変わりダイバーに?

 

仕事人生は、生まれ変わって やり直すのは嫌だ。

振り返れば、山あり谷あり、大変だったからね。

 

でもダイバーは、生まれ変わって、もう一度!夢だ。

 

さて写真の説明、ハワイカイマリーナ、向こうの山はココヘッド。

トイレは、マクドナルドのを使って良い。

(日本ほど快適なトイレは無い)

水深33mに 眠る戦時中の沈戦闘機「コルセア」

まるで 原田知世ちゃんの映画「彼女が水着に着替えたら」

私が潜って撮ってきた、財宝は無い 笑、沈飛行機「コルセア」


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ヨスジフエダイにも会いたいね。

(コンデジのストロボ光、弱し)

この時に借りていたホンダフィット(当時は全盛のエコ車)

最近、ハワイに行った日本人観光客

円安!アメリカのインフレ「物価が高い」と。

2017年ころも、ワイキキは高物価で、

ダイビングショップの人は、家賃の高さにあえいでいた。

 

(カイルアの方のスーパーで買った弁当)

140円/ドル 420円だもんな。100円/ドルなら 290円。

ウチが ハワイで食べる予算は こんなもの・笑

お金が有り余るなら、

ハワイカイのマリーナ付の家に住んで、

自分のボートに、潜水器材を積んで、

未知なる海底の世界へ 繰り出したいものだ。